『歴史古代豆知識』86・奴婢(ぬひ)は、中国日本においては、律令制における身分階級の一つであり、良民(自由民)と賤民(非自由民)があるなかの後者の一つで、奴隷階級に相当する。(ぬ/やつこ)は男性の奴隷、(ひ/みやつこ)は女性の奴隷を意味する。朝鮮においては、起源と発展がやや異なるが、高麗時代に完成した。奴婢は、一般的に職業の選択の自由、家族を持つ自由、居住の自由などが制限されているが、一定の年齢に達するなど、特定の条件を満たせば解放されることもあった。基本的には家畜と同じ扱いであり、市場などで取引されていた。日本の奴婢制度

日本における奴婢制度は、大宝律令に始まり、前述の隋・唐の律令制を日本式に改良して導入したものであった。これは律令制の崩壊とともに消滅したので、中世に出現し江戸時代に制度化された穢多非人との間には連続性はなく起源も異なる。

奴隷自体は、三国志魏志倭人伝卑弥呼が亡くなったとき100人以上の奴婢を殉葬したと言う記述や、生口と呼ばれる奴隷をに朝貢したと言う記述が見られるように、少なくとも邪馬台国の時代には既に存在していた。また蘇我氏物部氏の争いの時も聖徳太子大連の首を切ってその子孫を四天王寺寺奴婢[2]としたという記述がある。これらの古代から存在していた奴隷を、律令制を取り入れるときに整理しなおしたものが、日本の奴婢制度であろう。