「二十二社巡り」廣瀬大社・奈良は大和側の合流する川合に廣瀬大社が鎮座する。
「廣瀬坐和加宇加売命神社」として表れ、崇神天皇の時世に創建されたと言う。祭神の若宇加能売命は大忌神と言う農業神。祭られている所から水神としての意味合いの神であったろうと思われている。
廣瀬の名が史料に初めて現れるのは『日本書紀』の天武四年(675)に「風神を龍田の立野に大忌神を廣瀬の河曲に祀る」と記されている。
龍田は生駒にある龍田大社、もう一つは廣瀬大社ことで、これは風水害がない事を祈り五穀豊穣を祈願する「大忌祭」の初見とされている。
何より有名なのは「砂かけ祭」とも呼ばれテレビなどに映し出される奇祭、人と牛に扮した者が田を耕すに参詣者の人の中に砂をかけあう。