山真言宗の寺院。四国八十八箇所霊場の第七番札所。光明山蓮華院と号する。本尊は阿弥陀如来坐像、脇侍は観音菩薩立像と勢至菩薩立像で3躰とも鎌倉期の作と云われている。本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん・寺は現在地から北3キロほど奥の十楽寺谷の堂ヶ原にあったと推定される。大同年間に弘法大師がこの地を巡教して逗留されたときに阿弥陀如来を感得し、如来像を刻んだのが本尊として祀られたと伝えられている。その際に、大師は生・老・病・死など人間として避けることのできない苦難に、10の光明と、輝く楽しみが得られるようにと「光明山十楽寺」の寺名を授けたといわれる。創建からしばらくは、阿波の北方きっての広大な七堂伽藍を誇っていたが、天正10年(1528)長宗我部元親による兵火で、すべての堂塔が焼失した。幸い、本尊は時の住職が背負い難を免れたという。寛永12年(1635)に現在の地に移り、再建された。明治時代になり本堂が再建され、本格的な大師堂、書院などを整え、さらに平成6年には立派な木造の本堂を建立している。本堂左前にある「治眼疾目救済地蔵尊」は、古くから眼病、失明した人たちの治療に霊験があるとされ、眼病に悩むお遍路さんの参詣が多い。尊像の前には熱心に祈る人の姿がよく見られ、信仰者のなかには、開眼したという例も数多く伝えられている。四国霊場には、24番最御崎寺、39番延光寺の目洗い井戸、52番太山寺の一畑薬師など、目の不自由なお遍路さんの祈願所が多く、霊験の力をお祈りしたい。
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