「京都古社寺探訪」「宗像神社」京都府京都市上京区京都御苑内にある神社である。国史見在社で、旧社格府社宗像三女神多紀理比売命多岐都比売命市寸島比売命を主祭神に、倉稲魂神と天岩戸開神の2柱を配祀する。主祭神は『日本三代実録』に、筑前国の宗像神社(現宗像大社)と鎮座地を異にするが「同神」であると記されたり、「同神別社」であると記されている。配祀神の天岩戸開神も国史見在社(天石戸開神)を合祀したもので、『花山院家記』(『山城名勝志』所引)には合祀前の状況を「天石戸開神。大石也。霊有り」と伝えており、また倉稲魂神は藤原時平によって合祀されたと伝える。現在、御苑内の西南(裏鬼門)にあたる位置に鎮座するため、方除けの信仰を集めている。社伝によれば、延暦14年(795)、藤原冬嗣桓武天皇の勅命を蒙り、皇居鎮護の神として筑前宗像神を勧請し、自邸である東京第(東京一条第ともいう)の西南隅に祀ったものと伝えるが、当神社の鎮座由来を記す最古のものとしては『土右記』が挙げられる。東京第は冬嗣の没後、東の花山院と西の小一条第に分けられたが、同書には当時の小一条第第主師成の語った以下の話を載せている[4]。小一条第は藤原内麻呂が息子の冬嗣に買い与えた邸宅であるが、その理由は、冬嗣がまだ内舎人であった頃、参内の途中で虚空から宗像大神が呼びかけ、父に頼んで小一条第を買ってもらい、そこに居住して傍らに宗像大神を祀れば、子々孫々にわたって守護しようとの神託があったためである。また、邸内の東北隅には天石戸開神も祀られていたようであるが、その由緒は不明である。