座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル 8





松江哲明セレクション

ロス・アダム/ロバート・カンナン
『将軍様、あなたのために映画を撮ります』(2016)




50年代から70年代にかけて韓国で活躍した映画監督の申相玉(シン・サンオク)と彼の妻で女優の崔銀姫(チェ・ウニ)は、1978年に香港で北朝鮮の工作員によって拉致された。

録音テープによると、金正日は北朝鮮で製作された映画について「韓国が大学生だとすれば、我が国は幼稚園だ」と発言していた。

更に彼は自国の映画の水準を上げる為に、「南朝鮮でトップの監督と女優が自らの意志で我が国にやって来るという事はないのか?」と言葉を接いだ。

このように金正日本人が部下に対して自ら拉致を仄めかしていた事に驚かされるが、それ以前に公の場で一切自らの声を発する事のなかった金正日の肉声が、なぜ録音されていたかに疑問が生じる。

その疑問は単純に北朝鮮に拉致された申相玉と崔銀姫が密かに録音したからであるが、なぜそれほどの危険を冒してまで録音したかと言えば、北朝鮮からの脱出に成功した際、その録音テープが拉致された事の証拠になるからだった。

この作品の注目すべき点は、拉致された映画監督と女優を単なる被害者として扱うのではなく、特に監督の申相玉が映画好きの金正日と意気投合した結果、そこで自由な映画作りを許された状況を扱っている事にある。

70年代の申相玉は、資金集めに苦労して中々映画が製作できなかった時期にあり、二人の子供たちの話によれば自宅に債務者が押し掛けていたそうだ。

更に彼は他の女優と浮気しただけでなく、その愛人との間に二人も子供をもうけていた事が発覚した事で、妻の崔銀姫と離婚した。

彼が苦境に陥っていた時期に、まず崔銀姫が香港で北朝鮮の工作員に拉致されると、彼女を捜索していた申相玉もまた拉致された。

当時の韓国では崔銀姫は確かに拉致されたが、申相玉は自らの意志で亡命したのではないかと噂されており、その噂は現在に至るまで払拭されていないらしい。

何故このような噂が囁かれるかと言えば、申相玉が北朝鮮で金正日の庇護の下に自由な映画製作を許されていたからであり、この作品では直接言及されてはいなかったが、彼は映画を作りたいが為に北朝鮮に亡命したのではないかと仄めかされていた。

上映後に行われた松江哲明とのトークショーにSkypeで参加した町山智浩は、「芸術家なら自分の作りたい作品を作る為に悪魔にでも魂を売るものだ」と話した。

この作品では暗に仄めかされていただけだったが、町山は更に踏み込んで申相玉が自分の作りたい映画を作る為に、金正日に魂を売ったと指摘した。

更に町山は、「古代から権力者は自分に逆らう者を側に置く。イエスマンよりも逆らう者と真の友になる。そこに権力者の孤独がある」と語っていた。

金正日は北朝鮮の映画の水準を上げる為に、それまで量産されてきたプロパガンダ映画を否定するように、敢えて申相玉に自由な映画製作を許した。

その意味において、申相玉は独裁者である金正日と真の友になれたのであり、韓国では決して実現できなかった作品を北朝鮮の潤沢な予算を用い、しかもテーマに対して何ら制約を受ける事なく自由な映画製作を実現させたのだ。

申相玉が国外に持ち出した録音テープによれば、彼の脱出を助けた日本の映画関係者に対して「金正日を裏切る事はできない」と日本語で打ち明けていた。

結局は用意周到な計画の結果、彼は崔銀姫と共にオーストリアのアメリカ大使館に逃げ込んでいるのだから、単に自由な映画製作を求めて北朝鮮に亡命したとまでは言い切れない。

それでもなお彼にまつわる噂が消えないのは、北朝鮮において金正日の庇護の下で自由な映画製作を実現したからであり、それが町山の言うように「芸術家なら作りたい作品を作る為に悪魔にでも魂を売るものだ」という法則から彼は決して自由になれなかった。

町山によれば現代の申相玉と呼べる人物が、中国共産党の庇護の下で自由な映画製作を実現できるチャン・イーモウであり、ハリウッドの何十倍の予算を掛け、人民解放軍まで自由に使う事ができる彼もまた「悪魔に魂を売った」という。

その結果、完成したマット・デイモン主演の『グレートウォール』を町山は「バカ映画」と断じていたように、芸術家が自由な創作を許されると結局は「バカ」になってしまうのだろう。

松江哲明は金正日を映画好きな人物としてクロースアップした作品は少ないと言い、金正日と申相玉の会話を聞いていると、まるで自分の事のように感じてしまうと告白していた。

松江は申相玉の立場に立ったら悪魔に魂を売るのかと聞かれて、「分かるでしょ?」と不敵な笑みで返答していたが、自分の作りたい作品を予算の制約なく自由に作れるという誘惑に、やはり芸術家は抗し難い魅力を感じるのかもしれない。

町山は悪魔に魂を売った映画監督としてレニ・リーフェンシュタールを挙げ、彼女もまたヒトラーに潤沢な予算を与えられ、自由な映画製作を許されていたように、それを許す人物が虐殺者であり独裁者である事を知りつつと、自らの欲望に抗し切れないのが芸術家なのだろう。

独裁者に協力する事が倫理的に正しくない事は当然だとして、独裁者によって自由が保証される事の矛盾に自覚的でいられる事は案外難しいのかもしれない。

町山も指摘していたように、当時の韓国はパク・チョンヒによる軍事独裁政権下にあり、西側陣営に所属していたものの自由な映画製作が許されない環境にあったのに対して、本来なら自由などないはずの北朝鮮で自由な映画製作が許されるという逆転現象が申相玉の身に起こったのだ。

こうした矛盾に、このドキュメンタリーの魅力があり、映画を作りたい映画監督が独裁国家で自由な映画製作を許されるという歴史の皮肉が、拉致されたのか亡命したのか敢えて曖昧に放置された申相玉の生涯として語られていた。

この作品で気になった点を挙げれば、それは北朝鮮の民衆が政府から「洗脳」されていると表現されていた事だ。

「洗脳」という言葉を使用した時点で、有無を言わさず北朝鮮の民衆に対して狂信的な人々であるとのレッテルを貼る事になり、それによって独裁者を熱烈に支持しているかのように見せかけて、その内面では軽蔑しているかもしれない可能性を予め排除する事になりかねない。

それはむしろシニシズムによって維持されている体制と言った方が適切な気がする。

そう易々と民衆が「洗脳」されているとも思えず、その体制を心中では軽蔑しながら、それでもなお表面的には熱烈に支持する態度を取り続ける事で、結果的に独裁が強化されるというシステムに民衆は知らず知らずの内に加担してしまう。

やたらと作品に「洗脳」というキーワードが頻出する事の違和感とは、申相玉と崔銀姫の数奇な運命を映画の側面からクロースアップしつつも、そこに彼の製作した作品を観たはずの民衆の視線が欠けていた事に起因している。

当時の民衆の反応は外部からは決して知り得ない事実だったとしても、それまでのプロパガンダ映画とは明らかに異なる新しい映画に民衆は興奮していたかもしれない。

それは決して「洗脳」とは異なる反応だったと思われるからこそ、単に「洗脳」された民衆によって北朝鮮という独裁国家が維持されているかのような印象を与える事には大いなる違和感を感じた。

金正日の葬儀で泣き叫ぶ民衆の姿を単に国家から「洗脳」されていると表現するのではなく、町山が自らの体験に則して指摘していたように、東アジア全般に存在した「泣き女」と表現した方が、よほど「洗脳」という言葉よりもしっくりときた。