第17回 東京フィルメックス






特別招待作品






ワン・ビン
『苦い銭』








その場所が浙江省湖州である事は、登場人物が発する言葉から理解できるのだが、そこに地域の特徴を感じさせるような記号などは見当たらず、中国の何処にでもありそうな路地の一角がワン・ビンの視線の対象として限定されていた。

ワン・ビンの作品は、特定の場所に留まりながら、そこに暮らす人々を粘り強く見つめる事によって成立している。

その対象が製鉄の街で働く労働者であれば『鉄西区』となり、団地の一室で反右派闘争の経験を語る老婆であれば『鳳凰』となり、反右派闘争によって僻地で強制労働させられた人々であれば『無言歌』となり、監禁された精神病患者であれば『収容病棟』となる。

つまり、ワン・ビンは特定の空間に留まらざるを得なかった人々をドキュメンタリーの対象として選択してきたのであり、それが中国のみならず世界における現在進行形の事態として認識されている。

縫製工場が集中している浙江省湖州は、臨時雇いの労働者が最も多い地域という事もあり、出稼ぎ労働者たちが故郷に子供や親を残して集まっていた。

この街の小規模な縫製工場に集まった労働者たちをワン・ビンはドキュメンタリーの対象として選択した。

その工場には労働者たちが暮らす寮が併設されており、彼らは労働時間などという概念が予め存在していないかのように、仕事が入れば深夜だろうがお構い無しに作業していた。

一日12時間以上働かされる事に耐えかねた青年は、故郷へと帰る事を決断していたように、その労働は大変過酷である事が窺える。

他の青年は一日のノルマである100着を達成できなかった為に、その日の内にクビを言い渡され、他の工場で雇ってもらえなかったら田舎に帰るとカメラに言い残して寮を出て行った。

しかし、このような過酷な労働環境を告発する事が作品の目的ではない。

その目的は、臨時雇いとして入れ替わりの激しい縫製工場の内部で、容易に見過ごされてしまう人々の顔や行動、言葉を固有性として記録する事にある。

それらは労働者を量としての理解する事からは決して導き出されず、あくまでも労働者を個として理解する事からしか始まらない。

それは決して数字に還元できない人間固有の問題であり、その一人一人に固有の顔や言葉、そして家族や人間関係が存在するように、それを記録に留める事が個人の問題から社会の問題を理解する手掛かりとなる。

例え作品が個人の問題を扱おうとも、そこには常に社会の問題が収斂されているのであり、全体を語る事が必ずしも全体を語り得ないのに対して、個を語る事が全体を語り得る事もある。

むしろ全体を語る為に個を語る必要があるのであり、それが結果として権力の相貌を明らかにする。

縫製工場に勤めていた女性は、何の連絡もないまま自宅に帰って来ない夫を探しに行くと、夫婦で経営していた小さな店で夫を発見し、何故連絡をしないのかと問いつめた。

すると夫は妻である彼女に対して、俺に命令するなと言い、手を上げようとしたが、常連客に制止された事で最悪の事態は免れた。

彼女の話によると日常的に夫から暴力を振るわれているらしく、恐らくカメラも含めた衆人監視の状況だった為に暴力が振るわれる事はなかったようだが、そうした緊迫した状況に立ち会ってしまった居心地の悪さを観客は体験する事になった。

この状況は、よくある夫婦喧嘩のひとこまなのかもしれず、夫による妻の暴力を肯定するつもりは更々ないものの、あくまでも個別の夫婦の問題に過ぎないとも言える。

しかし、彼女の口から「子供に会いに行く為の旅費とお土産代を夫からもらわなくちゃいけない」という言葉が漏れ出ると、この夫婦もまた故郷に子供を残して出稼ぎにやって来た労働者なのだと分かり、その途端に夫婦喧嘩が個別の問題である事を越え、一気に現在の中国における社会の問題へと格上げされた。

夫婦喧嘩は確かに個別の問題に違いないが、その夫婦喧嘩の原因の一つに出稼ぎ労働者が被る過酷な現実があるとすれば、それはまさに社会の問題に他ならず、個別の状況を見つめる事が即ち社会を見つめる事に繋がる例として浮かび上がる。

工場で酔っ払って他の労働者にちょっかいを出していた中年男は、社長から給料を受け取って故郷に帰ると散々宣言しておきながら、いつまで経っても工場から動こうとはしなかった。

そして遂に自ら社長に給料を請求しに行くのだが、社長から酔いを覚ましてから改めて来いと言われただけでなく、給料をギャンブルに使うなとか酒を飲むのは止めろと説教までされてしまった。

そこに出稼ぎ労働者が被る現実の一旦が垣間見え、不規則な労働環境で故郷に家族を残して一人都会に出稼ぎに来た男の孤独が、単なる酔っ払いにしか見えなかった彼に異なる姿を与えていた。

そこには当然のように労働の光景も登場しており、ミシンで洋服を縫製する手付きは習熟した労働者の美しさがあり、それは単に過酷な労働に従事させられているという常套句では説明しきれない瞬間を画面に到来させていた。

そうした習熟が身に付かないままクビにされてしまう青年もいたように、そこには労働者を育てるという概念など予め存在しておらず、習熟した労働者を臨時に雇う事によって生産性を向上させるしか経営が成立しない小規模工場の現実もまた反映されていた。

そのような過酷な労働に従事しなくてはならない理由は、もはや農村では豊かな生活を手にする事ができないからであり、冒頭に登場した少女は地震によって住む家さえ失った現実が、否応なしに彼女を出稼ぎ労働者にしていた。

この作品では単に出稼ぎ労働者の実態を個別の状況として記録するだけでなく、そもそも「豊かな生活」とは何かという問いが投げ掛けられていた。

縫製工場の目の前の道路では、一台の車を大勢の人たちが取り囲んでおり、その光景を二階の作業場から労働者たちが見下ろしていた。

その会話から交通事故が起きた事が分かるのだが、道路に横たわる瀕死の被害者に対する同情が述べられる事もなく、彼らの作業は続行されていたように、そこには人間的な共感が欠けていた。

それは何も彼らが冷たい人間だからではなく、ましてや中国人がそうだと言いたい訳でもなく、人間的な共感を阻害する状況が既に社会に存在しているからだ。

この状況は中国のみならず世界中に存在しているのだろうが、少なくともワン・ビンは現在の中国における拝金主義が人間的な共感を剥奪しているとの認識を持っていた。

それもまた個別の状況から明らかにされた事実であり、それを単に個人の資質に還元するのではなく、より大きな社会的な状況へと思考を発展させる事によって、「豊かな生活」への憧れがもたらした現実を改めて見つめ直す契機となる。

ワン・ビンは何も大上段に構えて中国社会の矛盾を告発しているのではなく、徹底して個別の状況を見つめる事によって、結果として社会の相貌が明らかになったのであり、それを受け取る側もまた社会から個人を発見するのではなく、個人から社会を発見する必要があるだろう。

そこにあるのは決して「豊かな生活」ではないが、確実に「豊かな映画」は存在しており、そうした「豊かさ」が存在した事に、このろくでもない世界にとって、せめても救いがあった。

だからこそワン・ビンが世界の悲惨を見つめようとも、決して悲観する事がないのであり、映画の「豊かさ」が必ずしも現実の「豊かさ」を実現しなかったとしても、映画の「豊かさ」に触れる事のできる幸福はまだ残されている。