山根貞男「日本映画時評集成2000-2010」刊行記念 活劇の行方2000-2011





黒沢清
『アカルイミライ』(2002)
『LOFT』(2005)






今回も2本のレビューは割愛して、山根貞男と黒沢清のトークショーをレポートします。






上映後に、山根貞男と黒沢清のトークショーが行われた。


まず山根が、'08年の『トウキョウソナタ』以降、黒沢清が映画を撮っていない事を指摘した。


それに対し、黒沢は「その間何もしていなかった訳ではなく、脚本を5.6本は書いており、ロケハンまでして撮影するはずだと思っていた作品が流れてしまった」と明かした。


その理由はやはり資金の問題らしく、「リーマンショック以降」という言葉が映画界でも使われるようになったという。


しかし、黒沢は「ものともせずに撮っている人もいるので、悔しい」と発言した。


黒沢は現在映画が撮れる条件として、確実にヒットする作品か低予算の作品だけだと言い、自分の作品はそのどちらにも属していないと言った。


しかし、山根は黒沢が'90年代に『勝手にしやがれ』シリーズのようなVシネを撮っていたと指摘すると、黒沢は現在の低予算はレベルが違うと言った。


黒沢は自分が作る劇映画のコストが1億から2億の間であり、『勝手にしやがれ』シリーズは2本セットで5千万、1本あたり2500万から3000万の予算はあったという。


しかし、現在は80万という予算で作品が作られており、1ヶ月も生活出来ないかタダで参加している人もいるのだろうと語った。


それに対し山根は、そんな低予算で作ったとして、それを上回る儲けを出せるのかと問い掛け、現在は真ん中が無くなったと指摘した。


黒沢もまた、現在は低予算かいきなり5億の作品になってしまい、自分のような中間の予算で撮る監督の作品が無くなったと語った。


しかし、山根は予算を掛けたからといって作品の質が上がっている訳ではなく、大きな予算の作品10本の内良い作品が1本だとすると、低予算の映画も良い作品は同じ確率だと言い、大きな予算も低予算も作品の質に違いは無いと指摘した。


そして黒沢は製作委員会方式によって、プロデューサー的な人が増え、10人いれば10通りの口出しをするようになったと打ち明けた。


彼によれば、映画をあまり知らない人が脚本に口出ししてしまい、その注文まで脚本に盛り込まねばならず、結果的にどうしようもない脚本が全てのプロデューサーの承認を受けた決定稿として監督の元に送られて来るという。


脚本家もまた、あまりに多くの口出しを受け、自分の仕事を早く終わらせたい為に、複数のプロデューサーの言う事を聞き、全ての注文を脚本に盛り込んでしまうらしい。


黒沢は自ら脚本も書く為に、あらゆる口出しを受けるが、嘘を付いたり、騙したりはしないと言いつつ、ベテランなので現場に来るプロデューサーには、「注文は字面として脚本には書くが、絶対にそのシーンは撮らない」と約束させると明かした。


また黒沢は、この2.3年にキャスティングが原因で頓挫する企画が多くなったと明かした。


最近はプロデューサーが若い20~30代前半の男性スターを起用する企画が多く、原作が女性の主人公であっても男性の主人公に変更するようにと要求するらしい。


しかし、かつてはイメージキャストの1人目が出られなければ、第2候補や第3候補が控えており、そこから新たにキャスティングし直して企画がスタートしたが、現在は1人目が出られないとなった時点で企画も中止されるという。


黒沢によれば、事務所がヒット確実な企画にしか俳優を出したがらなくなり、その結果自分の作品に俳優を出さなくなったと語った。


山根も最近は事務所の管理が強くなり、俳優の意向を聞かなくなったと指摘した。


しかし、山根がヒット確実と思われた作品もコケる事はあると言うと、黒沢はその俳優に当たらないというレッテルを貼ってしまうと言った。


作品が当たらない事は昔からよくあり、当たらなくても作品は良かったと言ってもらえる状況があったが、現在は責任を追及する分かり易い対象として監督と主演にレッテルが貼られてしまうと語った。


そして山根はつまらない映画を撮っている最中に、それに関わっている何十人という関係者の中から「止めましょう」という人間は一人もいないのかと言い、撮影や編集をしている事自体が既に無駄であり、産業廃棄物だと斬り捨てた。


それに対し黒沢は、他の監督から「これでも何とか完成させたんです」と打ち明けられる事があると明かし、どんな監督も最初は面白い映画を作ろうとするが、どうしようもなくなった時、映画を完成させる事だけが目的になると言った。


それでも山根は、だからこそ「止めましょう」と言わなくてはならないと強調し、どうしようもない映画を完成させる事は観る者にとっては関係ないと言った。


そして山根は黒沢が映画美学校や東京藝大で若い人達に映画を教えていると紹介し、黒沢に対し新人が次々とデビュー出来る状況を作り手過剰ではないかと問い掛けた。


しかし、黒沢は若い人に教えているつもりはないと言い、若い人の作品に刺激を受け、その才能を先回りして潰さないといけないと語った。


黒沢は若い人の素晴らしい才能に出会った時、それを知っているのは自分を含めて2.3人しかいないと思えば興奮すると語り、その才能を上回る作品を自分も作らなければならないと思うと明かし、それが若い人の才能を潰すという意味だと付け加えた。


山根は黒沢の教え子である真利子哲也を評価し、あんな大胆な作品を作る人が繊細で恥ずかしがり屋だと言い、彼には頑固な所があるのでプロデューサーの言いなりにはならないだろうと言った。


そんな真利子に対し黒沢は、今後は韓国やアメリカ、フランスにでも行けばいいとアドバイスしたと明かし、日本映画なんて捨てても構わないと語った。


最後に山根はWOWOWで放送中の黒沢清が監督した『贖罪』を高く評価した。キネマ旬報に山根が連載している日本映画時評には暗い話ばかり書いてしまったが、黒沢の『贖罪』を明るい話として言及しているという。


そして山根は黒沢の『贖罪』を何でもない風景が怖いと指摘すると、黒沢はもはや何が怖いか分からなくなったと言いつつ、画面に気配を漂わせたと語った。




黒沢清の発言を聞いていると、日本映画の状況はかなり悲観的に思えて来るが、それでも教え子をライバルとして扱う彼の姿勢からは、これから先新たな傑作が生まれる事を予感させる。


青山真治が黒沢清の作品を世界映画と定義していたように、もはや日本映画の監督として黒沢清を定義する事に意味は無く、また製作体制も世界へと発展させる可能性は十分ある。