12月24日のクリスマスイブ。

我が輩は、呉で大和ミュージアム、

広島で原爆ドームの夜景を鑑賞した。


「帝国主義の時代に生まれていれば職業軍人になっていただろう」

と普段、思いながらも、

「平和は尊い」

と観じるのが硬派感傷主義なのだが、

これは矛盾するものではない。


我が輩が思うところの職業軍人とは、

むやみやたらと戦争を好むわけではない。

無教養な乱暴者でもない。

基本的には平和を愛す教養人でありながら

「有事の際には命を賭して勇敢に戦う!」

という倫理の持ち主なのである。


そんな我が輩が、原爆ドーム観賞後、

足早にホテルへ戻ったのはわけがあった。

今夜、放送のTBS系列

「日米開戦と東条英機」

を見るためだった。


どうして見ようと思ったのか?

一つは、日本中、「1億総メリークリスマス!」の今日、

あえて戦争もの、

とりわけ

 悪役の東条英機

を主人公とするドラマを放映しようとするのだから

「TBSはかなり自信があるに違いない」

と観じたこと。


もう一つは、新聞のTV欄の紹介で見る限り、

「東条英機を美化するのではないか」

と危惧したためだ。


前半のドキュメンタリーは見なかったので何とも言えないが、

後半のドラマは見応えがあった。

内容は、

陸軍のみならず、政治家、官僚、マスコミおよび国民の多くが

 日米開戦やむなし

の世論を形成していた1940代初頭。

青年将校らによる2・26事件等の再発が懸念されていた。


日米開戦を避けたかった昭和天皇や木戸らが、

近衛文麿の総理辞任を受けて思案。

有り体に言えば、

 ー毒をもって毒を制す

のたとえどおり(ドラマでは、虎穴に入らずば虎児を得ず、と表現している)

日米開戦論者でありながら、

昭和天皇への絶対忠誠を信条とする東条英機を利用しようとする。

(木戸は、公家出身の総理大臣で日米開戦に突入すると敗戦後、皇室に災い及ぶと判断したという説もある)


日米開戦派の東条をあえて内閣総理大臣に任命した狙いは三点。

第一に、日米開戦支持の世論を納得させる。

第二に、陸軍から総理大臣を出すことで陸軍青年将校らのクーデターを防止する。

第三に、東条の昭和天皇に対する忠誠心を利用する。

     日米開戦を回避したい昭和天皇の意志を東条に伝え、

     外交による平和解決で日米開戦を回避させる。

     あるいは持続的な外交で時間を稼ぎ、ドイツ対ソ連の戦争の状況を見極めた上で決断する。


東条は、崇拝する昭和天皇の内意を尊重し、

母胎の陸軍を裏切り、日米開戦のポーズをとりながらも、

日米開戦に反対の立場をとる海軍を利用しながら時を稼ごうとする。

その際、活躍したのが、陸軍省軍務局の石井(阿部寛が好演。坊主になったのは立派)。


しかし、伝統的に仲の悪い陸軍と海軍が思いもよらぬ妥協。

東条、外務大臣・東郷、大蔵大臣、陸軍参謀総長、海軍大臣等が議論した最高会議で

参謀総長が軍需物資の陸軍減・海軍増を提案。

海軍は拒否すると思ったが意外にも受諾。

日本帝国の方針は、

 ー米国との外交交渉は12月?日をもって終了。即時開戦


会議終了後、確かA級戦犯で処刑された武藤章が

「海軍に裏切られた」

と嘆く。


石井が東条に最後の切り札を提案。

「東条内閣総理大臣が辞職されれば日米開戦はできません」 

しかし、東条は拒絶。    

東条は、泣きながら

昭和天皇に最高会議の決定を報告する、

というもの。


内容はおもしろかったが、

「歴史を断片的にしかみようとしない視聴者が東条英機を美化するのでは?」

と危惧もした。


我が輩は、上記のドラマは史実に近いと思うし、

クリスマス・イブのゴールデンタイムにあえて、こういう硬派なドラマを放映したTBSの姿勢を評価する。

しかし、そうであったとしても東条英機を次の4点で評価しない。


第一に、東条英機が日米開戦を阻止しようとしたのは、総理となった僅かの日々であり、

     日米開戦の根本的原因は、統帥権を乱用した陸軍の暴走にあり、

     東条は、その暴走を推進した指導者層であった点。

     たとえば、満州を占領した関東軍の軍資金は、阿片(麻薬)密売だったが、東条はそれを許可している。

     つまり自分で日米開戦の危機を招いておきながら、

     日米開戦を回避しようと少しだけ努力したことを歴史的美談とするのは、本末転倒である。

     

第二に、日米開戦で日本軍や日本人が絶望的な玉砕(自殺)や特攻攻撃をしたのは、

     東条英機が陸軍大臣の時に作成した『戦陣訓』の洗脳教育の結果である点。


     「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すなかれ」


     この洗脳教育の結果、

降伏することで死ななくても良かった日本人や朝鮮人(当時は日本国籍)がたくさん死んだのだ。

 

    米軍は、日本本土に侵攻した際、

     この日本人の絶望的な玉砕や特攻攻撃で多くの米軍兵士が戦死することを想定した。

      ー米軍兵士の犠牲を少なくするため、広島や長崎へ原爆を投下した

     と「合理化」する米国人も少なくない。


     つまり軍人・民間人問わず絶望的な闘いでも絶対降伏しない当時の日本人の気質を

     つくりあげた責任は東条の『戦陣訓』にあるわけだ。

 

     もともと日本には「捕虜になるな。降伏するな」、という戦争観はない。

     むしろ逆で、「大将や一族の男子は切腹。その他はとがめなし」が伝統だ。


     我が輩は将棋5段だが、将棋はチェスや中国将棋とは異なり、

      ー死んだはずの駒が使える 

     のだ。これは、戦争の際、降伏したり捕虜になることを前提にした日本人独自の戦争観だ。

     ー降伏や捕虜は恥 

     というのは、昭和に入り、軍部上層部の意図に基づき改良されたとみるべきだろう。

     そして『戦陣訓』のとおり、死んでいったのは、10代~20代の若者達だった。


第三に、学徒動員を実施したのは、東条その人であること。

     有為な若者がろくな武器もあたえられず敗戦必死の戦地へと送られ、

     そして特攻隊で死んでいった。


     国家100年の大計という観点から学徒動員は大いなる過ちというべきだろう。

     そんな馬鹿な判断を下した東条という敗軍の将を

     いかなる意味であれ美化してはならない。


第四に、日米開戦で300万人が死んだという。

      しかし、東条には、男子3名、女子4名の子供がいたのだが、7名全員が生き延びている。

     人様の子供は赤紙1枚で絶望的な戦地へおくりながら、

     自分の子供は、7人全員、生存させている点が、いささか承伏できない。

     自分の家族だけ安全地帯に逃がしていたのではないか?

     偶然だとはとても思えないのは我が輩だけではあるまい。 

     とくに、男子が3名もいるのに、

     ただの一人もお国のために命を捧げていない点につき東条は釈明できるのか。

         

     そしてこの遺族が、国益をそこなう。

     靖国神社A級戦犯分祀が、政治・行政主導のもと、まとまりかけた際、

     A級戦犯の遺族の中で、唯一、東条家だけが反対したため、分祀ができなかった。

     その結果、今日まで日本の外交的損失を惹起しているのだから、

     「開いた鼻がふさがらない」

     のだ。


以上、東条英機は、評価できないし、いかなる意味でも美化すべき人物ではない。