我が輩は、キリスト教徒ではないがゆえ、

「クリスマス、そんなの関係ない!」

何の感傷もないまま広島の知人に会うため、

松山から船で瀬戸内海を渡った。

下船地は、呉(くれ)。

旧日本帝国海軍の戦艦等の製造を担った軍都である。


敗戦後の日本は、米国の無差別爆撃で何もかも失ったわけではない。

工業生産力の4割(だったと思う。大学院時代に学んだ通説・具体的な数値は失念)近くは温存できたわけで、

そのおかげで戦後の復興が可能であったわけだ。

戦後の呉の復興もしかり。

機械工業等の製造業が盛んな工業都市らしい。


呉は童貞訪問。

港の左手に

 大和ミュージアム

があった。

その隣の海上自衛隊資料館は休館日だったが、

屋外に陳列されている

 巨大な潜水艦

「毛沢東もビックリ!」

こんな巨大な兵器を目のあたりにすると

「精神論では戦争は無理だなぁ。

 ゲリラ戦ならともかく・・・」

と観じた。


大和ミュージアムは、

「地場産業は何ですか?」

「公共事業です!!」

と断言できそうな

松山市の坂の上の雲ミュージアムよりは遙かにましだった。


だが、とくに特筆すべき新たな史料の発見はなかった。

戦艦大和がどういう技術をもった人々によって創作されたのかが紹介されていた。


あまり感心しなかったのは、

 潜水艦特攻・回天

(潜水艦に人が乗船し、敵の戦艦等の急所めがけて体当たり自爆するもの)

を考案した青年将校を

あたかも英雄のごとく顔写真入りで紹介していることだった。


国を思う純粋な気持ちは認める。

命をかけて国を守るという精神も貴重なものだ。

我が輩も帝国主義の時代に生まれていたら、

そういう価値観にもとづき職業軍人になっていたと思う。


しかしながら、乗船自爆する特攻兵器を開発したことを讃えるのは、

いささか狂気じみていて違和感を覚えざるをえなかった。

呉駅から広島駅への車中。

どうやら呉には、自衛隊の少年兵学校があるらしい。

下級水兵の軍服のような制服を着ている高校生ぐらいの若者がたくさんいた。

どの子もあどけない顔をしている。

個人主義が蔓延しているご時世で少年兵学校に入学するのだから

彼らの性格は純粋なのではなかろうか。

乗船自爆は、

こういう少年兵やそれに近い若年兵が乗せられたわけで、

 ーあくまで自主的に、自己志願

とはいうものの、その実態は、

 ー強制力がともなった自己志願

であったことは疑いもない。

「人間魚雷・回天の創作者を讃えるのはおかしい」

と少年兵の顔をみながら観じた。


夜、広島に到着。

これで6度目となる。

広島風お好み焼きを食べた後、原爆ドームへ歩いて行く。

宿泊ホテルがJR広島駅近隣であり、原爆ドームとはかなり離れていたが、

「歩かないと、その土地はわからない」

のが硬派感傷主義だ。

30分程度歩いただろうか。

途中、右折し、広島城を見る。

「たいしたライトアップではないなぁ」

と安心。


次いで原爆ドームへ。

やはり

「やはり通常のライトアップだったな」

とこれまた安心。


どうして

 ー安心

したかというと

「まさか広島の原爆ドームがクリスマスイブなんかに迎合するわけがない」

と思っていたのだが、

実証的性格であるがゆえ、

この目で確かめないと安心できなかったわけだ。


我が輩は、

 日本のクリスマス・イブは異常

と観じている。

普段、キリスト教などまったく信じていないのに、

この日を特別扱いし盛り上がる国民性。

はっきり言って

「クリスマスイブがそんなに大切なら、

 ホテルに行かないで教会に行って祈りを捧げなさい!」


静かな原爆ドームの周辺には人影もまばらだった。

若いカップルが一組と

少し先に高校生ぐらいの路上歌手と女子サポーターが2名。

「・・・・・・」


我が輩は厚地のコートに身を包み、

原爆ドームをながめながら1周した。

もう6度も見ているのだが、

あきることなどあろうはずもない。

「原爆ドームをながめるだけで広島に来た甲斐がある」

と観じるのだった。