JTA愛媛松山テコンドークラブでの審査を終え、

孫弟子の陶芸家・河野一遍(河野とウリトゥルの先祖・一遍上人にあやかり勝手に命名)に熱く語った昨晩。

二日間滞在したオールイングランド・道後山の手ホテルの永瀬という女性の接客にも

「余は満足じゃ!」

JALのツアーについていた

 道後温泉湯巡りパス

を利用し、

主要温泉旅館11件をめぐり(温泉休みのプリンスホテルは、実にけしからん!)

「道後温泉制覇!」

したので気分は上々。


うんざりする「落書き消し」を忘れ、久々に爽快な気分だったので

 ー蹴武の型有段者篇・飛びかかと落とし蹴りの型=ユーハン

の一部が創作できた。

誰もいない温泉で、

一人蹴武の型を創作するのが快感でもある。

有り体に言うと、

「蹴武の型は旅をしながら創作される!」

のだ。


「さぁ、今日は、船で松山から呉にわたり、呉からJRで広島入りか」

道後温泉から松山港、松山港から呉港への時間をチェック。

最も合理的な時間帯まで1時間もあったので、ロビーから持ってきた愛媛新聞を読んだ。


「日本遠望 46(平野雄吾記事)」に紹介された人物に注目。

彼の名は、具志アンデルセン飛雄馬(姓から推測すると沖縄移民の末裔か?)。

30歳の日系ブラジル人。


1990年、11歳の頃、出稼ぎ目的で家族と共にブラジルから来日。

小学校で差別を体験し、ぐれてアウトローの道へ。

定時制高校中退後、暴走族のトップとなったらしい(昔は、カシラと呼んだ)。

早婚・二児の父。

「48年間生きて楽しいことはなかった」と言って亡くなった実父の無念。

自殺を考えたこともあったという。

「刑務所に入ろう」

と思い車を壊して逮捕され起訴(執行猶予)。


改心し、

「外国籍の子供の役に立ちたいと三重県内の教育委員会を訪ねて歩いた」という。


応じたのが松坂市(だったと思う)。

戦国時代の名将・蒲生氏郷ゆかりの地である。

この地で外国籍の子供のサポートを開始。

異色の経歴から講演依頼も増えたらしい。


だが、「外国籍子供の大先輩」かつ「元アウトローの大先輩」として一言。

近年、我が輩は日系ブラジル人のインテリ層と接して観じたことがある。

「この人達は、日本のマイノリティ史について白紙に近いなぁ」

というもの。

大学教授のポストにありながら

「在日韓国朝鮮人の学術書は100冊以上もあるのですか?」

と驚いていた人もいた。


在日韓人問題も、

日系ブラジル人問題も、

普遍的な錦の御旗は、

「人権!」

につきるわけで、

外国籍の子供達の役に立ちたいのなら、

日本のマイノリティ史の流れをおさえておかねばならない。


在日韓人が、在日韓人だけの人権を声高々に叫んでも説得力がない。

同様に、日系ブラジル人が日系ブラジル人だけの人権を声高々に叫んでも説得力がない、

と我が輩は考えている。


理想は、在日韓人の人権活動家が、日系ブラジル人の人権を声高々に叫び、

日系ブラジル人の人権活動家が、在日韓人の人権を声高々に叫ぶことだ。

そうすることで運動が普遍化すると考えている。


日本に出稼ぎにきた日系ブラジル人の歴史は浅く、

当然のことながら学術的な歴史は確立されていない。

他方、在日韓人の歴史は、100年以上。

学術書、とりわけ人権論に関する書籍は抱負だ。

それを読みこなすことで視野が広まると思う。

日本におけるマイノリティの在日韓人は、

人権運動に関する限り、

アメリカのマイノリティ・黒人の役割を担ってきたのだから。

反発し運動した結果として日本人から嫌われた、

という面も否定できないが。


具志アンデルセン飛雄馬君、

君はまだ30歳なのだから、人権活動家として大成すべく

サポートを続けながらも

「学問をしなさい!」

とエールをおくりたい。