本年、我が輩の私生活で変わったことと言えば、

「韓国ドラマをたくさん見てしまった」

ということだろう。


「サンド」→実在した美しい商人の物語

「ファン・ジニ」→実在した名キーセンの物語

「ハヤンコタプ」→韓国版「白い巨頭」

「キョンソン・スキャンダル」→植民地時代の京城=ソウルでの独立派暗殺団の物語

「ソドンヨ」→百済の武王の政権奪取と新羅王女との恋物語

「テジョヨン」→内部分裂による高句麗滅亡(途中。おそらく主人公が新たな国を創るのでは)

「チュモン」→高句麗創建者の物語(途中)

等である。


我が輩は、現代の恋愛ものやホラー系は殆ど見ないが、

時代ものは好んで見ている。


日本語吹き替えの「チュモン」以外は

韓国語で聞けるので

韓国語のセリフと

日本語字幕をチェックしながら

「その表現は違うだろう」

とか

「誤訳だなぁ」

と評論家センセイになって楽しんでいる。


川端康成が

ノーベル文学賞を受賞できた最大の原因は、

「英語の訳者が優れていたから!」

と言われているが

(ノーベル文学賞選考委員に日本語が理解できる人はいなかったらしい)、

文化作品場の翻訳は大変重要だと思う。


やはり韓国人と日本人とは、

人種的には黄色人種であり、

言語的にもウラルアルタイ語で同種であり

(中国語とは別種。助詞がある。騎馬民族系の言語。モンゴル語も同種)

歴史的も古代から交流が盛んであり

(天皇の祖先は朝鮮族の騎馬民族だったという説もある。奈良県のナラは韓国語で国の意味)

不幸な過去とはいえ36年間も同じ国家の国民だったわけであり、

文化的にも漢字文化圏であり、

宗教的にもキリスト教やイスラム教の影響を受けず仏教等の影響を受けており、

民族を特徴づける食も急接近(我が輩の若い頃は日本人はキムチを食べる人は少なかった)
国際結婚も進んでいるわけだが(我が家もしかり)

イコールかといえば、かならずしもそうではない。

やはり文化的な感性は違う、と見なした方が適切だと思う。


では何故「冬のソナタ」がヒットしたかといえば、

あれは

「韓国的ではなかった!」

からだ。

だいいち主人公らがキムチを食べるシーンはただの一度も出てこなかった。

極力ひかえたのだろう。

韓国的な日常生活を。

韓国のドラマはとにかく長い。

歴史ものは、日本の大河ドラマの倍近くある。

これだけ長いと俳優・女優の人気や演技力だけでは視聴者を惹きつけることは難しい。

だから脚本が重要になる。


我が輩自身、台詞を聞きながら

「はっ!」

と驚き、

巻き戻し再生してメモ書きするシーンが多々あり、

それが韓国ドラマを見続けている原因であるのだ。

しかし、脚本重視の姿勢は、

そもそも日本映画のお家芸、

とりわけ黒沢明映画の真骨頂だったわけで

黒沢監督がどれほど脚本を重視したかは、

名脚本家の橋本忍氏の証言によらずとも明らかだ。


以下続く