朝鮮学校時代の我が輩は、

 ー1ヶ月最高30戦もケンカ

したこともある

「かなりの悪ガキ!」

で、

警視庁蒲田警察、池上警察、大崎警察の少年課の刑事が、

同級生を捕まえた際、

「おまえらの仲間のハー・ミョンセン(河明生の朝鮮語読み)ていう奴に言っとけよ!

 かならずぶち込んでやるからな!ってな」

とターゲットにされていた。


しかし、1970~1980年代前半当時は、

ガキのケンカには、社会も警察も寛容だったし、

病院送りにした被害者が告訴しなかった関係で(お礼参りを畏れたと思う)

調書と稀に慰謝料だけで済んだものだった。

「今なら少年院当選確実!」


けれどもだ。

18歳の朝高3年でケンカは完璧に卒業。

若い弟子や生徒たちに

「ケンカはしてはいけないし、テコンドーを使ってはいけない」と説法をする都度、

昔の我が身を省みながら我が身を恥じてもいる。


だが、しかし、

「ケンカのシュミレーション!」

は今でも趣味的にすることがある。


約1ヶ月ほど前、

緑健児(元極真空手王者)、徳山昌守(ボクシング世界王者)、常の山(元幕内力士)諸氏と

午後11時頃、大阪はミナミの繁華街を闊歩した際、

「このメンバーなら100人くらいと乱闘してもだいじょうぶかも」

と、にやけながら乱闘のシュミレーションした。


仮に、飲み会を終えた素手の敵が100人。

我が輩たち4人と空手経験者の新聞記者1。


場所は、道頓堀界隈の繁華街で道幅が狭く、

4トントラックがとおれるかとおれないかの道。


作戦は、

「自称今孔明!」

の我が輩がたてると仮定する。


作戦はこうだ(これはあくまで想像の世界=フィクションです。念のため)


敵は100人。

こちらは5人。

しかし、狭い道ではいっぺんにはかかってこれない。

そこが

「作戦次第でなんとかなる!」

わけだ。


まず巨漢の元幕内力士に、

10~15名ほどの敵正面に体当たり突進、

そしてひたすら前方の敵を攪乱してもらう。


彼の補助は、空手経験者の新聞記者C。

背後と側面からくる敵から彼を守りながら闘ってもらう。


この攻撃からこぼれてきた敵を

元ボクシング世界チャンピンがジャブとストレートで粉砕。


3~5分もつと、

前に進めない後方の敵が動揺する。

「なにやってんだ!」

「はやくやっつけろ!」

と怒鳴るのが落ちだろう。

前方で一体何が起きているか見えないからだ。


数にたのでいる連中は、

もともと数にたよっているのだから、

その数の威力が発揮されないと不安になるものだ。

これは我が輩の体験上、

「まちがいない!」

集団乱闘心理だ。


3名の勇者が前方で踏ん張っている間に、

元空手世界チャンピオンは、

隣の道をダッシュ・迂回して敵の中間地点の左側面をつく。

同時に、

我が輩も、同様に、敵の右側面をつく。

ここがポイントだ。


古今東西の戦史、

優れた城攻めは、

かならず逃げ道を残しておく。

城を落とすことが目的であり、

城兵を皆殺しにすることが目的ではないからだ。

わざと手薄なところをおき、

逃げ道を示してやると

籠城軍の将や兵隊は、再起を期して逃げることを選ぶ。

そうすることで兵力を消耗しないで城を奪うことができるわけだ。


逆に、逃げ道をふさいでしまうと、

「どうせ死ぬなら最後まで徹底抗戦!」

と籠城側の士気を高めてしまい大損害を被ったり、

下手をすると負けてしまうことだってある。


これを団体戦の乱闘にあてはめると、

味方が少数、敵が絶対多数の場合、

背後から意表をついて闘っても

もともと数の多い敵が必死になってしまい勝機はうすれる。


それよりも、わざと後方に逃げ道を残した方が良い。

数が多いのに、

前方で何をやっているのかわからず不安になっている最中、

左右の側面から、

いきなりケンカ慣れした強兵に、

突っ込んでこれられると、

後方の敵の中から、怖くなって逃げる奴がかならずでてくる。

すると、後方の敵は戦意喪失。

逃げる奴につられて逃げる奴が増える、

そしてそういう奴らにつられて闘っている奴の戦意が萎えるわけだ。


逆に、最初から多勢で無勢で勝負を挑んでいる我が方は、

「もう少しふんばれば勝てる!」

と力を振り絞って阿修羅のように闘うわけだ。

こうなれば

「お味方大勝利!」

・・・・・・・


とまぁ、夜のミナミを闊歩しながら

「そうなればおもしろいかも・・・」

とにやけるのが、

硬派感傷主義である。