我が輩は、

思想的に

「右」であれ、

「左」であれ、

はたまた「中道」であれ、

「哲学を持っている人間が、キムチよりも大好きだ!」


その一人が、作家であり、

ベ平連の活動家としても著名な

 小田 実(おだ・まこと。故人)

である。


我が輩は20代の頃、

すなわち20年ほど前は、

日本を代表する

「左の論客!」

であり、

ちょうど今の姜尚準氏のような立場にあった。

 「朝までテレビ」

等の討論番組をみながら、

「論旨が通っているよなぁ」

と感心したことがある。

(確か、東京都知事選挙で革新候補として立候補したが負けたと思う)


小田の著書『何でもみてやろう!』は、

我が輩のヨーロッパ武者修行のきっかけの一つとなったことは、

だいぶ前のブログで述べたとおりである。


残念ながら、生前、一度もお会いすることはできなかったが、

その人となりを観じるべく

知人に頼んでNHK・BSで放映された

「小田実の遺言(?)」

を録画してもらい数日前に観た。


小田の経歴や「人生哲学」は、

我が輩なりに知っており、

20代の頃の記憶の確認に過ぎなかった。


ところが新たな発見!

「人間・小田実!」

を観じることができた。


小田の妻が、

在日朝鮮人だということは、

本人が「朝までテレビ」で述べており知っていた。

その際、小田は、自分の妻のことを

「人生の同行者」

と評したが、

「ベルサイユのバラ」のアンドレのような美男子ならともかく

御世辞にも美男とは言いいがたい小田には、

「キザなセリフは、いささか似合わないよなぁ」

と学生時代から思ってもいた。


ところがである。

小田は、53歳にしてはじめて娘をもうけたことを知った。

出産したのは、西ドイツのベルリン(我が輩の妻と同じ)。

生まれてすぐ看護婦の顔に

「おしっこをかけた!」

と楽しそうに言っていた。


我が輩が観じたのは、

小田が、

孫ほど年齢の離れた娘に、

 ーなら

と名付けたことである。


「なら」とは、

朝鮮語(韓国語)で「国」をあらわす。

奈良県の「なら」は、まさに朝鮮語から命名されたもので、

遠い昔、朝鮮半島から渡来してきた渡来人が

当時としては先進文明を日本に伝承し、

時の「朝廷」のブレーンとして活躍したことに由来するらしい。


ちなみに、我が輩に影響を与えた新井将敬(故人。元衆議院議員)も、

娘に、

 ーアスカ(漢字は失念)

と名付けており、

それが渡来人が活躍していた

 飛鳥時代

もしくは

 明日香村

に由来していると、我が輩は解釈したことがある。


プロ野球の英雄にして

非日本国籍でありながら

「国民栄誉賞第1号!」

に輝いた王貞治氏しかり。

彼は今も帰化はしていないはずだが、

娘達の名には、かならず

 王

の字をいれたらしい(たとえば、理恵等)。

娘の場合、日本人と結婚し、夫の戸籍に入籍する(=帰化)可能性が高い。

すると先祖伝来の「王」の姓ではなくなるのだが(中国人同士の結婚なら姓は変わらない)、

名前に「王」の字を入れることで、

「結婚しても、未来永劫、王家の末裔であることを忘れないように」

という趣旨だと知人から聞いたことがある。


我が輩は、

 なら

という命名に、

小田実の妻・玄順恵さんや娘・小田ならさんへの

「愛を観じる!」

のだ。


しかも小田は、

娘に、

 アッパ(韓国語で、パパのニュアンスに近い。我が輩の家もそう呼ばせている)

と呼ばせていた。

「お父さん」

「パパ」

ではなく

韓国の家庭では当たり前のように使われている「アッパ」と呼ばせていたのだ。


世の中には出自を隠そうとする親がいる。

もちろん人それぞれ

「ひどい過去と決別したい!」

という心情があり、

それは他者には容易に理解することはできない。


けれどもだ。

「隠す」というのは、後ろめたい行為である。

それは、子どもにもわかる。

子ども心からすれば、

「何か悪いことをしている」

と考えるはずである。

そうなると情緒教育にはよくない。

若くして精神が屈折してしまうからだ。


親が必死に隠そうとしても、

いつかは子どもにばれてしまう。

その際、いったい親は子どもにどういう説明をするのだろうか?


出自は選べない。

だからこそ

「何人も出自で差別されてはならない!」

のであり、

まともな近代国家の憲法ならどこでもそういう条文があるはずだ。

なのに人は、出自に対する差別をやめない。

そのため隠す人も後を絶たない。


だから我が輩は言いたい。

「出自で差別する奴は、明らかに知能が低い。

 知能が低い奴は、相手にするな。

 しつこい奴は、たたきのめせ!

 堂々と胸をはって生きろ!」

と言うのが硬派感傷主義である。


孫ほど歳の離れた娘に、

朝鮮語の

 ーなら

と名付けたのは、

「娘よ!

 君は、小田という姓をもつ日本人と在日朝鮮人の

 愛の結晶なのだ!」

と言うことなのかも知れない。


そういう姿勢こそが、

我が子の健全な成長を可能にする親としての

「愛だろ~、愛!」

だと観じた。


若き日の我が輩の

「スターの一人!」

だった

小田 実の冥福を祈る。

合掌