8時30分、永田町の自民党本部へ。

自民党政務調査会法務部会・国籍問題に関するプロジェクトチーム第9回会合に参加。

座長は、尾崎のK-1MAX応援で世話になった河野太郎衆議院議員。

議題は、「特別永住者の国籍取得について」である。


ヒアリング招聘されたのは、

坂中英徳(外国人政策研究所所長)

鄭 大均(首都大学東京教授)

李 敬宰(在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会会長)

の3氏である。


主旨は、

特別永住権を有する在日韓人に対し、

特例で現行の帰化制度によらない

 届け出制

によって

日本国籍が取得できるようにすべきか否か、

を検討する法務部会である。


上記の3氏は、いずれも

「届け出制推進派!」

であり、

鄭氏や李氏は、すでに現行の帰化制度によって日本国籍を取得している。

坂中所長は、度々、紹介するように、

法務官僚時代に在日韓人に対する永住権付与の法律を創造した人物である。


今回の法務部会には、法務省と外務省から役人が参加し、

国会議員およびその秘書の参加者は、

2日前の中川プロジェクトよりは少なかったが、

当該問題に対する関心が高い議員が参加していることが、

質問等により観じることができた。

居眠りも1人しかいなかったのは、そのためかも知れない。

携帯電話かけまくりの無礼な議員もいなかった。


3人のヒアリング中、

鄭氏のそれが、

「一番インパクトがあった!」

と観じた。

ただし、我が輩が同意見というわけではない。


坂中所長は、2日前の講演に比べるとやや調子が悪かったので、

「今日は調子が悪かったですね」

と率直に本人に言ってしまった(これが我が輩の悪い癖でもある)。


我が輩自身、日本国籍を取得した

「新日本人!」

なわけだが、

「河さんは、IQが高い!」

と、だいぶ前に京都の祇園で熱い酒を飲みあかした

硬派な論客=原尻英樹さん(立命館大学教授。いずれ人物列伝でとりあげる)

の分析(ホメ殺しか?)が

正しいか否かはわからないけれども、

「人間の主義主張!」

に関しては、

第三者的な立場から聞き手に徹することができる。

なぜなら

「適度に冷めている」

からだ。


人はそれぞれ背負っている家族の歴史や宿命、

そしてそれらを基底とする感性が違うのであるから、

戦国時代ならいざ知らず、

民主主義の時代に生まれたのだから

「徹底的に議論してチョ! 

 ただし、テロはいけませんよ。

 武道家として断固阻止!!」

なのが硬派感傷主義である。

けれども、

 ー届け出制による日本国籍取得

は、強制力がなく、

あくまで届け出るか否かは、

「本人の意思!」

なのだから、

そういう特例法ができても

「いいんじゃな~い」

と思ってもいる。


終了後、座長の河野太郎さんに

 K-1尾崎応援

についてあらためてお礼をした後、

「河野さん、

 3月10日から14日までの間、時間をつくっていただけませんか?

 尾崎を会わせたいのですが。

 &%$#”!”#$%$#”」

「わかりました。**日の夜でどうでしょうか」

「ありがとうございます。尾崎も喜びます。

 時間はメールでお願いできませんか?」

「わかりました」

最近、戦友・緑健児同様、河野さんと会うのが楽しいのは、

彼らが、

「真心がある!」

からに違いない。


次いで鄭大均氏と名刺交換。

鄭氏は、

在日韓人社会が生んだ知的エリートにして

「左の論客!」

である

姜尚準氏(東大教授)の主張に真っ向から反対する

「右の論客!」

であり、

いずれはどこかで会うだろうと思っていたが、

自民党本部で会うことになろうとは、

想像もしていなかった。


「はじめまして。我が輩は、河明生と申します」

「あっ、知ってますよ。

 あなたのブログも拝見したことがあります」

「あぁ、そうでしてか」

「確か、私のことを批判されていたんじゃ」

「いえ、そんなことはしておりません。

 少しお茶でもいかがですか? 坂中所長も一緒ですが」

「ええ、そういたしましょう」

ということになり、

自民党本部1階のメチャクチャ安い喫茶店(コーヒー1杯250円)で、

すでに入店していた李氏とその同志2名とともに意見交換した。

我が輩が最年少で、みな50代前半から60代。

だから我が輩は言った。

「次回のヒアリングでは、若い人も呼んだらいかがですか?」

すると、鄭さんが

「若いので優秀なのは、左が多くてねぇ」

次いで坂中所長が

「それなら河さんがやるべきだ!」

「え?!」


退店後、我が輩は、国会図書館へ。

かれこれ3時間資料を調べた。


その後、麻布一番近隣の在日韓国領事館内にある

在日韓人歴史資料館へ。

館長は、我妻の恩師の姜徳相先生(元一橋大学教授)。

あいにく原稿執筆のため不在だったが、

研究員の羅さんが、

電話で姜先生を呼び出し、久々に会話することになった。

「やぁ、河さん! お元気ですか」

「はい。ありがとうございます。

 先生もご壮健そうでなによりです。

 先生! 100歳まで生きて下さい!」

話をしている最中、

(絶対、姜先生は、坂中所長および鄭さんとは、ケンカするだろうなぁ)

と観じながらも、

(ククッ)

とほくそ笑んでしまうのが硬派感傷主義である。

我が輩は、極左や極右、そしてヤクザ以外はつきあうのだが、

結構、

 左・右の闘い

を楽しんでいるのかも知れない。


同館図書室に、

一度読んでみたいと思っていた

「朝鮮高校の青春」

がおいてあったので、目を通した。

著者は、我が輩よりも1学年下の東北朝鮮高校出身らしい。

朝高史上唯一の

 ーヤキによる死亡

が東北朝高でおこったわけだが、

その当事者だったらしく、そのことが書いてあり、

「ふ~む、そういうことか」

と思案にふけってしまった。

遠い昔のワルガキ時代を振り返ると、

「我が輩も、よく生きていたよなぁ~、

 あれだけ教員や先輩と称する連中にヤキをいれられて」

と観じる自分に、

いささか違和感を覚るのだった。


日課の夕寝をしていないため睡魔が襲う。

しかし、午後6時30分から慶應大学で研究会があるため、

睡魔と闘いながら麻布十番から三田の慶應大学まで歩いていった。

トコトコ