福岡・博多の中州で
「我が輩の戦友・緑健児!」
に、再び(2月18日6時間!)どころか、
三度(2月19日5時間!)世話になってしまった。
今日一日中、
本部事務所で
「JTAフルコンタクト・テコンドーを始めたいが、
地元の道府県には、JTAの支部が一つもな~い!」
という
ー潜在的JTA会員
のため
「日本テコンドー協会・同好会公募!」
の作成にとりかかりながらも、
「緑君に、なにかお礼をしなければ、義が立た~ん!!」
と考えてしまうのだった。
そこで緑君に、お礼をのべ、おおむね次のようにメールした。
1,世話になっているばかりでは義が立たない。
博多でのお礼を横浜でしたい。3月、東京出張の際には、かならず知らせて欲しい。
我が輩におごらせなければ、かかとおとしをお見舞いする(笑い)。
2,話題に出た「砂の器」のビデオをおくる。この映画は云々。
メール送信、1時間後、緑君から電話がはいる。
(我が輩は携帯電話を持たない主義なのだが、
緑君は、メールをやらない主義なのだ。
だから、我が輩がメールすると固定電話にかけてくる。
やはり武道家は、余人とは異なる「こだわり」がある)
「やぁ! 河君!」
「やぁ! 緑君! 博多ではありがとう!! 楽しかったよ!」
「楽しかったね。それで・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「そうかぁ。かならず電話してよ!」
「うん。わかった。かならず知らせる。
かかとおとしをくらいたくないからね。ワハハッ」
「そうだよ。ワッハッハッ。
そうそう「砂の器」、さっそく奄美大島の自宅に送るよ。
絶対、緑君のような純情な人間は泣くよ。
かくいう我が輩も、今見たけど、泣けたよぉ。何10回も観ているのに」
「へぇ~、そんなにいい映画なの。早く観たいね」
ブログ・我が輩硬派感傷主義のコンテンツ「我が輩名画観」の第1回目が
「砂の器」
である。
緑君に贈る前に、
「もう一度、観ておこう!」
と「砂の器」を観たが、
涙が、
ナイル川の氾濫の如く
溢れて
溢れて
アフロヘアーだった。
というのは,
らい病(ハンセンシ病)に犯された本浦千代吉(加藤 嘉)と
当時、6~7歳の本浦秀夫(春田和秀)との
苦難ではあるが、
親子の愛も観じる
流浪の旅の回想シーン、
そして
見事すぎるほど
その回想シーンにマッチしている交響曲「宿命」、
さらには、セリフはまったく無いのに観客を魅了した
和賀英良=本浦秀夫を演じた
「日本映画界最高の美男、加藤 剛!」
の表情に、
「心が濡れてしまった」
からである。
とにもかくにも、
病に犯された弱い父親=本浦千代吉役を演じきった
加藤 嘉の悲しい表情。
とくに愛するわが子の前で差別・虐待されるシーンは、泣けに泣けた。
死んだアボジを思い出してしまったからだ。
我が輩のアボジ(父)は、まじめな善人で
ー仏の河田
と呼ばれていたが、
どちらかといえば、
ー弱い父
だった。
子どもの頃、
神奈川県藤沢市の荏原製作所の子会社に
くず鉄を受け取りにトラックで行った際、
明らかにアボジよりも二回りは年下の工員が、
尊大にふるまっており、
子供心にも、
「いやな奴だ」
と不快だったのだが、
アボジは、
似合わない愛想笑いをしながらペコペコしていたので
悲しくなったのを思い出してしまった。
その光景がオーバーラップしていたのかも知れない。
同時に、
6~7歳では到底理解できない父親の病気、
そしてそれを差別・虐待する人々を
射るような眼差しでにらみつけていた子=本浦秀夫を好演した
春田和秀の不信に満ちあふれた目。
仮に、我が輩自身が、
我が子から、こんな眼差しで見られたら
おそらく
「生きてゆく自信がなくなるだろうなぁ」
と思えば思うほど、
涙があふれ出てしまい
このままほうっておくと
「目が涙でこぼれ落ちてしまうのではないか?」
と観じるほど泣いてしまったのだ。
いや~、それにしても、よく泣いた。
新しい発見もあった。
和賀英良=加藤 剛が
親しい人しかいない室内でも、
やたらとサングラスをかけたがるのだが、
それは父親との流浪の旅の最中、
父親を村から追い出そうと威嚇している警官に
挑みかかって返り討ちされた時にできた額の傷、
つまり過去を隠そうとする屈折した心理描写ではないかと思った。
最後に、「砂の器」が名画たるゆえんは、
本浦秀夫を演じた春田和秀のセリフのない名演技、
とくに、
「あの強い不信感に満ちた眼差し!」
だったわけだが、
この俳優は、
完全に映画界からきえてしまったため、
「今どこで何をしているのだろうか?」
と感傷にひたってしまった。