もとより我が輩は、

北朝鮮在留・日本人妻にお会いしたことも、

書簡でやりとりしたこともない。


だが、昨年、

ある有力者から、

北朝鮮で生き延びている80歳を超えている日本人妻が

「死ぬ前に一度でいいから日本の土をふみたい!」

とか、

「死ぬ前に両親の墓前で親不孝をわびて死にたい!」

とか、

「日本への帰国の夢がかなわず

 北朝鮮で自分が死んだら

 自分の遺骸の頭だけは日本の方角にむけてほしい!」

等の

「人生の終焉間際の心の叫び!」

を聞くにおよび

ただただ、

ただただ

人としての同情の念を禁じ得なかった。


今日も息子達とたわむれ

我が身の確かな仕合わせを実感しながらも、

ふと

「北朝鮮在留・日本人妻は、

 果たして北朝鮮での長い生活で、

 我が輩と同じような確かな仕合わせを実感できたのだろうか?」

と考えると同時に、

そういう不幸な人々の存在を知りながらも

仕合わせそうに微笑む我が身が

「いささか後ろめたいなぁ・・・」

と観じるのが

硬派感傷主義である。


周知のとおり

 人の道

と書いて人道という。


我が輩の理解するところ、

人道の端緒(たんちょ)とは、


お会いしたことも、

話したこともなく、

名前すら知らないけれども、

「同情を禁じえない境遇の人が存在する!」

という事実を目の当たりにし、


「何とかならないものか」

「何とかしたい」

「何とか思いをかなえてあげたい」

「何とか助けてやりたい」

と内面葛藤する心性だと思う。


我が輩は、

我が輩自身の残された寿命が、

果たしてどれぐらいなのかはわからないが、

天命のおもむくまま、

この脳が動き、

心臓が止まるまで、

この内面葛藤する心性を堅持したいと考えている。