日本の将棋は、

 ー相手から取った駒を使える

という

世界でも稀なルールをもっている(中国将棋、朝鮮将棋、チェスにはない)。

だから戦法が多彩でコンピューターが唯一、

 ー人間に勝てない!

ゲームなのだ。


ー死んだはずの駒が、生き返って、

 (もしくは昔の仲間を裏切って)

 かつての味方を攻撃する、

という思想は、

中国人や朝鮮人・韓国人、西欧人には

「理解できない!」

のかも知れない。


しかし、日本人は違う。

日本史の重大な国内戦争や政争では、

 ー裏切り(寝返り)

で勝負がつく場合が多い。


たとえば、

羽柴秀吉が柴田勝家を破った賤ヶ岳の闘いは、

前田利家(加賀100万石の藩祖)が陣地を離脱したが故、

柴田勢の敗北が決定的となり、秀吉の覇権が確立した。


関ヶ原の戦いでは、小早川秀明が西軍を裏切ったため、東軍が逆転勝ちし、

徳川家康の覇権が確立した。


幕末の鳥羽伏見の闘いでは、

徳川譜代の淀藩と

裏切りの達人・藤堂高虎を藩祖とする藤堂家が

幕府軍を裏切ったため、

局地戦ながら幕府軍の軍事的敗北が決定し、

日和見していた諸藩の動静が、

 ー薩長支持!

に劇的に変わり(当時は、勝敗がわからなかったので日和見していた藩が多かった)、

徳川の政治的敗北が決定的となった(軍事的には負けたわけではない。いくらでも勝てる見込みはあった)。


その後、戊辰戦争が起こり、

明治新政府軍が、

 ー会津討伐!

の大軍を会津若松に派遣した際、

総大将であった土佐の板垣退助は、

「会津では、侍はもちろんのこと

 領民が激しく抵抗するに違いない」

と警戒していた。

ところが、会津の領民の一部は、

明治新政府軍を歓迎し、

率先して道案内をしたらしい。

後、自由民権運動のシンボルとなる板垣は、

(暴漢に刺された際、板垣死すとも自由は死せず!、で有名)、

寒々とした違和感をおぼえ、大略、

「これではいかん。

 こんな領民が多くては、列強と戦に戦になった場合、国が滅びる!」

と観じたらしい。


どうやら雄藩・会津藩の家風は、

会津藩独特の教育によって涵養された

 ーサムライだけの精神!

だったのだ。


以下続く