オモニも来年で85歳になる。

生き甲斐は、

 ー孫の貴明と会うこと

のようだ。


我が輩にとって東京と彦根は、

 ー毎週の通勤コース

なのだが、

オモニにとっては、

 ーほぼ韓国にいるような遠い距離

のようだ。


だから我が輩が

彦根の自宅にいる都度、

東京のオモニの家に電話をいれ、

貴明とかわるようにしている。


電話で年に数回しか会えない孫との会話。

オモニの喜びようは、ハンパじゃない。

我が輩は貴明を膝に座らせ、

右手で電話の受話器を持っているので、

オモニの興奮が伝わってくるのだ。


群馬・東京から彦根戻る道程で、

年老いた老婆を見かける都度、

(オモニは、いま何をしているのだろうか・・・)

と、ほんの数日前、会っているのに

気にかかるのが、

硬派感傷主義だ。


いつものようにオモニに電話をかけ、

 ー親孝行の真似事

をしようとした。


「あぁ、我が輩。 オモニにかわってくれる」

「わかったわ。オモニ~!」


「もし、もし~!」

オモニはいつものことなので、

貴明と電話で話せるのを楽しみしているようだった。



「さぁ、貴明! ハンメだよ。ハンメ!」

「・・・・・」

我が輩は、小さき声で貴明の耳元で囁く。

<ハンメ長生きしてね~、て言いなさい。チョコあげるよ~>


「貴明! 元気か~、ハンメだよ~、ハンメ!」

<貴明! ちゃんと返事しなさい! はやく!>

「・・・・・」


「どうしたの? うふふ、ハンメだよ! 忘れちゃったの?!」

<貴明! 何か言え!!>


「おばあちゃんがいい!」


オモニ(ハンメ)の声が、まったく聞こえなくなった。

「このボケ! 何ゆうとんねん!」

と怪しい関西弁もどきの硬派感傷主義。


 ーおばあちゃん

とは、妻の母で、

月に一度は、東京から彦根に来てくれる。

なので、2歳児にしてみれば、

年に1~2回しか会わないオモニ(ハンメ)より、

おばあちゃん(義母)の方が良いのはわかるのだが、

まさか、この場面で、

 ーおばあちゃんがいい!

と発言するとは、まったく想定外だった。


我が輩は、

オモニ(ハンメ)の受けたダメージがかなり強いと観じた。

そう、たとえていうのなら、

 ークロス・カウンター蹴り

を顔面に蹴られる程の衝撃を受けたに違いないと観じたのだ。


親孝行が、

親不幸に・・・・。


我が輩は、

咄嗟に受話器を持ち、

「いやなに、今日は、ちょっと、まぁ、その、ハハハッ、いや~」

「・・・・・・・・・」


なんとなくだが、

オモニ(ハンメ)が、半泣きしているのがわかった。


近くにいる2歳児を怒るわけにもいかず、

かといってオモニを励ます言葉もみつからず、

ただただ、

「オモニ(ハンメ)が、かわいそう・・・・

 寿命を1週間は縮めてしまったなぁ~」

と天井を見上げる硬派感傷主義であった。