実は、我が輩は、

12月6日(水)の高崎経済大学での外書購読講義で、

久々に、

  ー憎悪がみなぎる

不愉快な思いをすると同時に、

(そろそろ大学で教えるのも潮時かもなぁ)

と観じた。


我が輩の社会科学系「大学」に対する持論。

  大学

という文字を分解し、

  一人で学ぶところ

だと考えている。


だから、義務教育の小中学校や

実質的に義務教育になっている高校とは異なり、

大学生は、

 ー 一人で学ぶべき

であり、

したがって、

 ー授業の出席はとらない!

し、

 ー期末テスト一本勝負!!

で単位を決するのが、

硬派感傷主義だ。


我が輩は、

大学院を卒業後、

大学と名の付いているところで10年以上も教えているわけだが、

メインの講義では出席をとったことはないし、

今後も取るつもりはない。

だからいつもパリーグの消化試合のような感じになる。


けれどもだ。

毎年、

 ー河明生おたく

が数人から数十人程度はいる。


我が輩が担当しているアジア経済史は、

履修者230名前後であるが、

実際、まじめに授業に出ているのは、2割~3割程度か。


我が輩の講義を楽しそうに、

微笑みながら聞いている

彼ら彼女らを演壇から見る都度、
(かわいそうに・・・)

と思うわけだ。


けれども、静かでいい。

楽しそうに我が輩の授業を聞いている学生の姿は、

(かわいい!)

と思うわけはなく、

(暇なのか?!)

と思いつつも、

気合いをいれて講義をするのが、

硬派感傷主義でもある。


だいたい、

学問をする気がまったくない二十歳前後の大人を

出席をとることで無理矢理、

講義室に拘束するのは、

たとえていうのなら、

核を放棄する気がない北朝鮮政府相手に

六ヶ国協議に出席させるのと同じことで、

 ーお互い時間の無駄

と思うのが、

硬派感傷主義だ。


一番の問題は、

極力少数ではあるが、

 ー自主的に学問しよう!

と思っているまじめな大学生が、

出たくもない連中を無理矢理出席させることで、

教室がうるさくなって迷惑をこうむり、

しらけてしまうということだ。

だから、我が輩は、

出席をとらないことにしているわけだ。


ところがだ。

社会科学系でも例外はある。

語学関連の授業だ。


元来、日本人は、外国語に弱い。

日本マクドナルド創業者・藤田田(デン)に言わせると、

 ー世界で一番難しい言語は日本語だ。

   だから日本語を操ることのできる日本人が、

   単純で簡単な英語をものにできないわけがない!

という内容を著書『ユダヤの商法』で書いているが、

現実の日本人は、外国語に弱い。

だから出席が不可欠となる。 


というのは、試験でダメな場合でも語学関連の場合、

 ー平常点(出席の褒美。つまり努力賞!)

を与えることができるわけで、

一種の救済処置でもあり、

おそらくアメリカのまともな大学にはない制度だろう。


かくいう我が輩も、

外書購読という少数の授業を担当している。

毎年、多くて10数人、少ないと3人という場合もある。


少数ながらも、なかなか楽しい雰囲気になる。

基本的に我が輩は、

若者が好きだからだ。

我が輩の外書購読の場合、

毎年、

 ーゼミ

と似たような感じになり、

終わる頃には全員とはいかないまでも、

毎年、確実に数人の学生とは、

 ー名残惜しさを感じる授業

になっていた。


こうなると、

 ー 一人で学べ!

とはいかなくなるし、

1ヶ月程度、外書を読ませてみれば、

半年後にどの程度、のびるかがわかるわけで、

 ー試験一本勝負

も、ほぼ無理なのがわかる。

だから、この授業だけは、毎回、課題を与えることにしている。

つまり出席を取っているに等しくなるのだ。

もちろん例外もいる。

外書購読能力は高いのに、何故だかわからないが、

我が輩の授業を履修している留学生や在日外国人の学生だ。

教えなくとも、充分、読みこなせるのだから、

こういう場合は、

 ー試験(リーデイング・テスト)一本勝負!

でも良いと思っている。


ところがだ。

ぜんぜんできないのに、さぼる者がいた。

先々週、この学生(3年)に課題を与えたところ

「先生! 来週は就職セミナーなんで、休みます」

「前も言ったろ。

 そういう理由で休むことを認めれば語学の授業は成立しないって。

 確か、前も同じことで休んだな。

 休むのはいいが単位は諦めるように」

「・・・・・」


翌週、この学生は休んだ。

こういうのも高崎経済大学に教えに来て初めての経験だった。


そして今週。

この者が教室に座っている。

(どういう気だ)

我が輩は、少々、感情を害した。


終了間際、

来週の課題を与えてが、

その学生には課題を与えなかった。


「では講義を終わります」

「先生! 僕の課題はないんですか?」

というものだから、

我が輩は、きれてしまった。

「当たり前だろ貴様!

 あれだけ言ってさぼった人間が、どういう気なんだ!

 教わる側の君にも授業を選択する自由がある以上、

 教える側の我が輩にも生徒を選別する自由があるだろう!

 義務教育じゃないんだぞ! 大学は!!」


このままこの場にいると、

我が輩は、

(昔のように滅多打ちにする可能性が高い)

と観じたので、

その場を去った。


講義控え室に戻り、

10分後のアジア経済史にそなえるためトイレに行こうとすると、

そいつが暗い顔をして立っていた。


(なっ、なんだこの野郎は!)


「せっ、先生! ぼっ、ぼくが、就職できなくても、いいんですか?」

「はあ~?!」

呆れて髪の毛が全部抜けて落ちそうだった。


「いいかげんにしろ!

 当たり前だろ!

 何で我が輩が、貴様の就職まで心配しなければいけないんだ!

 授業にでてもいい。

 テストを受けてもいい。

 それで貴様は、試験に受かるのか?」

「そっそれは・・・・」

「そうだろう。

 自分のレベルがわかっているのだろう。

 じゃぁ。どうしてさぼるんだよ。3年なのに。

 なのにだ。単位を交渉でもらおうとする。

 そういうのを偽装というんだろう」

「・・・・・」

と廊下で怒気を強めて言ってしまった。


すぐトイレに入り、

用を済ませて出ると、

まだ講師控え室前の廊下に立っている。

こういう学生も、高崎経済大では初めてだった。


我が輩は、

男のくせに女々しい奴が、

北朝鮮と同じくらい大嫌いだ。

だから、

(この野郎!)

と久々に、

全身から怒気を発している自分がわかった。

残念ながら自分で見たことはないが、

かなりもの凄い表情になるらしい。

これは、あの

 ー健全な不良時代

以来、忘れかけていたものだった。


(慰謝料50万くらいで済むなら、やるか)

と思うわけではないが、

全身の興奮をおさえるのが結構大変だった。


なぜならば、

我が輩は、

 ー大学教育に、多少なりとも情熱がある!

からで、

若いのに功利的な奴を見ると、

その情熱の裏返しで、

憎悪がみなぎってくるのだった。


次の授業のチャイムが鳴ったので、

講義控え室に立ち去り、

マイクを持って大講堂にむかった。

すでにあの学生はいなかったが、

どうにも興奮がおさまらなかったので、

アジア経済史の冒頭、

受講生達に、

この「事件」の顛末を話した後、叫んだ。


「我が輩は、大学教育に多少なりとも情熱を持っている。

 だから毎週、滋賀県彦根から群馬県高崎市までの往復1200kmの道程を克服しているのだ。

 ・・・・・。

 単位は正々堂々。期末試験一本勝負。

 仮にだ。

 ゼミの教授や学生部長(某大学ではあった)、学長はもとより、

 高崎市長でも、ここに選挙地盤を持つ中曽根や福田が、

  ー就職の内定をもらっているのだから単位をあげてくれないか云々

 と頼みに来ても、

 我が輩は、絶対、不正な単位は与えないぞ!」

と宣言するのが、

硬派感傷主義だ!!