神戸・岡山出張を経て、

彦根の自宅に到着。


ここ15年以上、観ている(ただし、時代物しかみないが)

NHKの大河ドラマを観た。


今年の主役は、

 ー土佐藩(現高知県)の藩祖・山内一豊と妻・千代

で、

原作は司馬遼太郎の同名小説だが、

(脚本は、かなり原作とは違うなぁ~)

と硬派感傷主義。


なぜなら、

司馬遼太郎が描いている

山内一豊像は、

 ー裏切りの達人。

   能力がないのに、24万石の大名になってしまった運の強い男

というものだからだ。


脚本に描かれている

 ー信義に厚い

という評価は、ほとんどないフィクションだ。

なぜならば、信義に厚いのであれば、

豊臣をいとも簡単に裏切ってはいないからだ。


なのにだ。

24万石を確定したのは、

徳川家康が、

会津の上杉討伐に出陣した際、

石田三成が大阪城を拠点にし、

 ー打倒 徳川家康!

の旗を掲げて、

中国の毛利を大将に、10万以上の大軍を集めたため、

徳川家康が諸将を集めて緊急軍議をひらいた

 ー「小山評定」(栃木県小山市)

での発言ただひとつだったのだ。


生前の豊臣秀吉が、

 ー仮想敵国・徳川家康の上方(京都・大阪)侵攻阻止の防波堤

として山内一豊を信頼して任せたはずの

 遠江・掛川城(現静岡県掛川市)

を、

 ー城と領地を徳川家康様に、すべてさしあげます!

と発言したからだ。


それもだ。

同じ豊臣恩顧の堀尾家の二代目のアイディアをぱくっての発言だった。

だが、この発言で、

小山評定に参加していた

現東海道に領地と城をもつ豊臣恩顧の大名達(すべて対家康戦のために秀吉が信任して配置した)が、

あわてて、

 ーそっ、それがしも! 領地と城を内府様(豊臣政権での家康の役職)に献上いたしまする!

と雪崩をうって発言したので、

徳川家康は、ただの一戦もまじえず、

江戸から尾張・清洲城までの領地と城を手に入れてしまったのだ。


その功績だけで山内一豊は、

関ヶ原合戦勝利の後、

西軍に形式的についた(というよりは闘わず傍観していた)

土佐の長曽我部から没収した土佐24万石を

徳川家康からもらったわけだ。


ちなみに、山内軍は、

南宮山に陣取って傍観している毛利軍・吉川軍の

 ー裏切りの裏切りの備え

として後方に配置されていたので(つまり徳川家康に信用されていない)

関ヶ原合戦では、

戦功らしい戦功はほとんどなかったはずだ。

小早川秀明の裏切りで徳川家康の勝利が確定し、

驚いて戦線を離脱しようとした長曽我部や安国寺などの

 ー逃げた相手を追いかけただけ、

と言っても過言ではない。


これが約250年後の

幕末の京都における諸藩の酒席で、

土佐藩士が他藩の藩士からかわれた要因だった。

たとえば、薩摩藩士が、

 ーわが島津維新公は、関ヶ原での西軍の敗戦が決まった際、

   勇猛にも徳川家康様の陣まで攻め込み、島津の武勇を天下に示された!

   そのかげで西軍に加担しながら唯一本領を安堵された!

同席していた福岡藩士が

 ーわが藩粗の黒田長政公は、

  石田三成軍と激戦され、猛将・島左近を討ち取られた!

  その功で福岡50万石を拝領された!

と言うや二人の藩士は、

同席している土佐藩の藩士を見ながら、

 ーところで、そこもとの藩粗・山内様は、関ヶ原で何をなされたのか?

と冷ややかに笑った、

と伝わっている。

幕末の土佐藩士は、

これが嫌で嫌で、たまらなかったらしい。


我が輩の記憶が確かなら、

司馬遼太郎は、

 ーこの発言だけで、24万石の大名になってしまった、

という戦国の奇妙な裏話を描こうとした、

と思う。


30年以上も前に放映された

 TBSの名作ドラマ

 「関ヶ原」

では、原作に忠実に

 ーまぬけだが、ぬけめのない山内一豊

を、描いていた。


我が輩は、

(はてさて、あのシーンをどう描くのかぁ)

と、注目して観ていたが、

そのシーンを観て、

(こりゃ、フィクション*講道館柔道場畳100乗だぁ~)

と、ため息混じりの硬派感傷主義。


これ以外にも問題があった。

家康役の西田敏之や山内一豊役の上川隆也の演技は、すばらしいのだが、

それ以外の著名な武将役が

(線が細すぎるし、、演技もダメー。TBSの関ヶ原をみならえ!)

と厳しい硬派感傷主義。

しかしだ。

一番の問題は、セリフが明らかに間違っていたことだ。

徳川家康が出陣しないので、清洲城で武将達がいらだちケンカをするシーン。

福島正則役の役者が、

井伊直正(彦根藩の藩粗。彼の子孫が安政の大獄の推進者・井伊直弼)につめより、

 ー内府(徳川家康)は、いったい、いつ、こられるか~!

すると、井伊直正役の役者が、

 ー会津のシマズ・・・・・・

と言ってしまった。


(えっ? ウソツケから、

 ー会津の上杉

 だろうがぁ~)


「公共放送なのだから、こんなミスを全国放送で流すな!

 ミスを知っていて流しているのなら、さらに問題だぞ!!」

と、

硬派感傷主義は怒るのだった。