我が輩は、彦根に戻ると

 ーマイホーム・アッパごん

に変身する。


妻かおるゴンは、朝から深夜まで行方をくらますので、

(あぁ~、良かったぁ~)

と思いつつ、

保育園送り迎え、食事の準備、洗濯などなど。

まったく似合わない作業するのだ。


そして夕方は、JTA彦根支部での練習。

今日は、普段とは異なり、厳しく指導を行った。

審査にむけての約束組手の練習を

徹底的に行ったのだ。


ピ~ン

と子供達が緊張しているのがわかる。


ところが、思わぬ<災害>が我が輩を襲った。

「日本沈没」のように

 ー洪水だ!

というわけではないが、

ようやく、おむつがとれ、

 ーとても小さなキャWAいい! パンツ!!

をはくようになった2歳の次男坊が、

あふれるばかりの微笑みで、

あふれるばかりのお小水をまきちらしたのだった。


緊張感は一挙に崩壊。

 ーわぁ~、もらした~

と、子供達は、喜びながらはしゃぐのだった。


(・・・・・)

我が輩は、

(これも人間修行のひとつか・・・・)

と、ため息まじりで、

もくもくと、掃除オジさんに変身するのだった。


帰宅すると夕食の準備。

ごはんは、すでにセットしてある。

先週、買いだめしておいた日本ハムの中華料理シリーズがあるので、

「究極のエビチリ・ソース!

 至高の酢豚!

 どちらが彦根美食クラブにふさわしいか?

 バカモノ!!」

と、憧れの海原雄山のように、おおげさに叫ぶのだった。


「エビ!」

「えび!」

ということなので、エビチリ・ソースに初めて挑戦した。


フライパンであたためるだけなのに、

我が輩は、結構、真剣に<勝負>した。


全巻そろえようとしている漫画『美味しんぼ』の影響か、

あたかも、

 ー究極対至高の料理対決!

のように、

(負けるものか!)

とエキサイト。

左手でフライパンを前後にふり、

しゃもじを右手に持ってかきまぜながら、

夢中になってしまう

まぬけな硬派感傷主義。


「ふ~う~、 いいできだゼイ!」

と終わっておなかを空かした子供達に食わせると、

残さず食べてくれたので、

嬉しかった。


日課の「夕寝(4時から5時の間に少しだけ寝る)」をしなかったので、

睡魔が襲う。

(ねっ、ねむい!)

すると、次男坊の付近から、

 ぷわぁ~

とおならの臭い。


(こっ、これは! やばい!!)

と、ロナウドのようなゴール前のダッシュよろしく、

次男坊をかつぎながらトイレへ。


便座の上に、ちいさなおまるをのせ、

「うんちは、おまるで、する~!」

と排便教育。

すると、

「でな~い! でな~い!!」

と叫ぶ次男坊。


「でないわけはない。この臭いは、出る前の兆候だ。

 たとえばだ。

 地震が来る前に、なまずが動くのと同じだ。・・・・・。

 どうだ。わかるだろう」

「・・・・」

と2歳児相手にレクチャーするのが硬派感傷主義。


「でな~い! でな~い!!」

「・・・・・」

軽く敗北を認めてしまう親パが。


トイレれを出て居間に戻ると、

再び、睡魔が我が輩を襲った。

(ダッ、ダメだ。もう限界だ!)

と眼鏡をお気に入りの眼鏡ケースに入れて床におき、

うつぶせに寝てしまった。


数分寝ただろうか。

 ブリブリッ 、ぷ~ん

というおそるべき音と臭いが、

我が輩の耳と鼻を襲った。


(まっ、まさか!)

そう、次男坊は、顔を真っ赤にして、ふんばっているのだった。


映画『八甲田山』のように、

(天は、われをみはなしたか!)

だった。


だが、見事だったのは、

我が輩のお気に入りの高い眼鏡ケースの上に、

大、中、小の調和のとれた形の

 ー茶色いホカホカまんじゅう

のようなものが、


そう、他にたとえるのなら、

アイスクリームをトリプルでコーンにつめこむような

絶妙の形でお互いを支えているのだった。


黒の眼鏡ケースに、三つの茶色い物体。

箱根彫刻の森の美術館にあるような<芸術性>を観じたのだった。


だから、

運ぶのが楽だった。

一滴(というのが適切かはわからないが)もこぼれていないのだ。

お気に入りの高い黒い眼鏡ケースを、

 ーひょいっ!

と片手で持ち上げ、トイレにダッシュ。

左手でトイレのドアのノブを引っ張り、

そのままおいていた小さなおまるにむけて、

右手でシュート!


 ーぼちゃん!  ポチャン!  POTO!


「よっしゃぁ~! うんちは、おまるで、スル~パスだ!!」

と、ご満悦な硬派感傷主義。


だが、お気に入りの高い黒い眼鏡ケースは、

あの臭いがなかなかとれず、

「これじゃ、授業の時、つかえないよ~」

と、なげきながらも、

「まぁ、また良き思い出を、子供達からもらったと思えばいいか!」

と前向きに考える硬派感傷主義でした。


(ちなみに、我が輩達が、小4位の頃、

 今は当たり前になった洋式水洗便所が使われ始めた。

 はじめて使う際、誰もわからなかった。

 なので、和式のように前向きになり、洋式便所の便座に両足をのせて用を足したのだ。

  ー白人は結構大変なおもいでクソをしているなぁ

 と同情していた間抜けな同級生がいた。本当のお話です)