山笠は、毎年7月1日から15日に開催される。


『西日本新聞博多祇園山笠ガイド』によると(抜粋。以下同じ)


7月 1日 朝        飾り山笠公開


7月10日 夕方      流がき(ながれがき)


7月11日 午前5時頃  朝山(あさやま。祝儀山)


7月12日 午後3時59分 追い山ならし


7月13日 午後3時30分 集団山見せ


7月15日 午前4時59分 追い山


という順番だ。


とはいうものの、

このすべてを地元でない人が観戦するのは難しい。

だから、一般的な観光客は、

 ーメインイベントの追い山!

の前日から2日前に、博多入りするのが普通らしい。


かくいう我が輩も、

7月14日の夕方、山笠を観じることができた。

博多界隈を歩くと、

 ー山笠ふんどし姿

の男達をたびたび見かけた。


我が輩は、

 ー自称 ホモ&ゲイ反対! 差別主義者!!

で、かなり偏見を持っているのだが、

このときばかりは、

ふんどしの後側、つまりおしりに目がいってしまった。


子供や若者のおしりは、

(う~む、やはりしまって、きれいだなぁ)

と、

 ーホモにも人権を!

と、20数年以上も前、

NHKの国政選挙政見放送で訴えていた

東郷 健(故人)の目になっていた。


ところが、我が輩と同じか、上の世代のそれは、

(見ては、いけないものを・・・)

ということになるのが、硬派感傷主義。


追い山が入る櫛田神社へ向うと、

 ワッショイ!

 ワッショイ!

 ワッショイ!

のかけ声とともに、

山笠ふんどし姿の12~3人の若者が、

隊列を組んで走ってきた。


ちなみに、

 ーワッショイ!

というのは、朝鮮韓国語の

 ーワッソ!(来た)

が語源だという説がある。

祭りが宗教的行事であり、

仏教等を渡来人(朝鮮人、韓人、高麗人と呼ばれていた)が、

日本人に伝承したことを考え合わせると、

かなり有力説だと我が輩は考えている。


しかも山笠をひくときは、

 ーオイッサ! 

  オイッサ!

  オイッサ!

というかけ声にかわるわけだが、


昔の朝鮮韓国語では、

 ーオイソ(来られたの意。だと、思うが)

と表現していたらしい。


昔は未開の土地だった関東に、

朝廷の許可を得て上陸した渡来人の高麗王・若光

(じゃっこう。子孫が、代々、「出世の神」として有名な高麗神社の責任者)が、

先進文明を持参して

 ー来られた(オイソ)

ということから、

 ー大磯(おおいそ。現神奈川県大磯町)

という地名になったと言われている。 


つまり、我が輩は、

 ーオイッサというかけ声は、オイソがなまったもの!

と考えるのだった。


とくに九州北部は、

朝鮮半島と地理的に近いので、

言語的接近は、自明の理と思うのだ。


我が輩は、

博多を歩き、

地元の人らしき中年層以上の年配者の顔を、

チラッと見ながら洞察する度、

(ああいう顔をしたオジサン達が、「一世」の朝鮮人に、たくさんいたよなぁ!)

と懐かしく思うのだった。


さて、すれ違った山笠ふんどし姿の若者は、

どの顔も真剣そのもの。

(純粋だなぁ!)

と、ただでさえ細い目を細める硬派感傷主義。

正直、

 ー利害関係がとぐろを巻いている大都会・東京

で生まれ育った我が輩には、

伝統的祭りに、

純粋に没頭できる博多の若者を

(うらやましい!)

と思うのだった。


と思いきや

(や、やっ、あれは何ぞや!)

と感嘆した物体があった。

飾り山笠だ。


後で確認したことだが、

我が輩が歩いたルートは、

 博多駅前→中州→上川端通り→川端中央街→博多リバレイン→

 天神→新天町→ソラリア→天神1丁目→中州→櫛田神社

のようだ。


飾り山笠は、

どれも見事で、

(蹴美だぁ)

と我が輩ランゲジーで酔いしれるのだった。


ただ、ドラエモンとか、

    ポンキッキとか、

    名探偵コナンとか、

極めつけは、武田鉄矢氏の母に捧げるバラードを

モチーフにした飾り山笠には、

(・・・・・。)

と、違和感を憶えてしまった。


やはり、源義経とか、

     弁慶とか、

     真田幸村とか、

     三国志の関羽や張飛とかの

(英雄豪傑が、いいよなぁ~)

と思うのが、硬派感傷主義なのだ。


我が輩は、勘違いしていることに気づいた。

飾り山笠を見る都度、

(このドでかいのを、かつぐのか!)

と感嘆していたわけだが、


新天町かソラリアの飾り山笠を見張っていた青年の親切な説明を聞いて

それが間違いであることを知った。

(そうだよなぁ。こんなドでかいのを、タイムを競って担げるわけがないよなぁ)

と思うと同時に、


(博多の人は、皆、親切だなぁ)

と感心してしまった。

きっと、

博多の人がもつ

 ー山笠への強い思いと誇り

が、そうさせるのだろう。

(自信がある人は、礼儀正しく、他人に親切なのだ!)

と思うのが硬派感傷主義。


後で知ったことだが、

飾り山笠は、全部で18あるようだ。

我が輩が、見れたのは、半分の9。

すべてを見ることは、できなかったので、

(残念だなぁ)

と思うのも硬派感傷主義なのだ。


我が輩は、

クライマックスの追い山にそなえ

博多都ホテルに戻り仮眠をとることにした。

なにせ、スタートが、

15日の早朝5時59分で、

絶好の場所を確保するためには、

(深夜1時から2時頃には、櫛田神社付近で陣取りをしなければ無理だろう)

と思うからだった。