我が輩は、北朝鮮という<アジア最後の異常な国家>を理解するためには、

それを創り上げた金日成(キム・イルソン)を理解しなければならないと考えている。

まずは史実をおさえた後、我が輩なりの考えを述べようと思う。

以下、和田春樹説を中心にしながら、「金日成」誕生までを論述する。


金日成は、1912年4月15日、平安南道大同郡古平面南里に出生した。

三人兄弟の長男だった。


「金日成」というのは、本名ではない。

本名は、「金成住(キム・ソンジュ)」であるが、

漢字の一字だけが異なるが、朝鮮語では同音の「金聖住(キム・ソンジュ)」だったとする説もある。


我が輩は、「金聖住」とみなす。

ポイントは、キリスト教由来と思われる「聖」の字である。


「金日成」が生まれた平安南道は、李朝時代、朝鮮・韓国で初めてキリスト教が布教された地域であり、

多くの朝鮮人がキリスト教に帰依したといわれている。


信者の大部分は、知識人であった。

何故かというと、この地域出身者は、昔から李王朝政府に冷遇されており、

今の国家一種試験と司法試験を合わせたような高級官吏の登竜門の科挙(カゴ)という

最難関の試験に合格しても高級官僚に任官されることが難しかったといわれている。

つまり平安道出身者は差別されていたのだ。


努力しても報われないであるから、このような地域の人々は、反体制的にならざるをえない。

とりわけ能力の高い知識人は、その傾向が強くなる。

今風にいえば、保守的ものに対して批判的となり、

新しいものを率先して受容するという意味で革新的になる、と思われる。

その証左が、キリスト教の受容だった、と我が輩は、考えている。


上記の典型とも言える人が、「金日成」の外祖父・康ドンウッであり、父の金ヒョングォンであった。

康ドンウッは、敬虔なキリスト教の信者であり、教師でもあった。

彼は自宅内に、彰徳学校という名の小さなキリスト教の学校を設立している。


娘は、康盤石(カン・バンソッ。1892-1932)。

「盤石」という名の由来は、

イエスがペテロに言ったという言葉である。

 「あなたは私の盤石だから、お前の上に教会を建てよう」というもの。


父・金ヒョンゴン(1894-1926)は、小作農の子として生まれ、漢方医となったが、

康盤石と結婚後、米国人宣教師が創立したキリスト系学校・崇実中学校に入学し、キリスト教信者となる。

やがてキリスト系学校の明神学校の教師となった。


このような熱心なキリスト教の外祖父および父母をもつ「金日成」は、

当然ことながら、幼い頃から父母の方針で、教会およびキリスト教系の学校に通うことになる。

この史実は、北朝鮮ではもちろん我が輩が通っていた朝鮮学校でも教えていない。


だが、金聖住は、理由はわからないが、無神論者となり、キリスト教に帰依しなかった。

しかし、幼い頃から叩き込まれたキリスト教の教義を完全には払拭できず、

いわゆる金日成主義=主体思想とキリスト教(カトリシズム)とは表層的類似性があると言われている。

とすると金聖住には、西洋的な思考=キリスト教的な思考を理解できる素地があったとみなせる。

(後年の核問題発覚以前、小国の北朝鮮が、超大国の米国を外交で翻弄するわけだが、

 このような金日成の西洋的な思考の素地が、米国外交を読み、米国人の政治家や官僚を翻弄するうえで

 多少なりとも役だったのではないか? 、と我が輩は考えざるを得ないのだが)


1926年、金聖住は、華成義塾という民族主義者の学校に入学する。

1927年には、中国東北部の吉林にあった中国人学校に入学した。

ここで彼は中国語(北京語)をマスターし、中国人の思考と風習を習得したと言われている。

この中国人的資質の涵養が、後に中国共産党で活動したり、毛沢東の信任を得ることを可能とする。


1929年、金聖住は、魯迅の弟子でありマルクス主義者の尚という中国人教師と出会い、

レーニンの『帝国主義論』を学び、共産主義の洗礼を受ける。

日本領事館資料によると、同年、彼は朝鮮共産青年会に入会したため逮捕投獄された。


出獄後の1930年、「一国一党」のコミンテルン方針により、中国共産党に入党し、

同時期に、李ジョンラッが組織した<朝鮮革命軍>に入隊し、抗日ゲリラ武力闘争を開始する。

しかし、翌年、<朝鮮革命軍>は、日本軍により壊滅させられ、命からがら逃亡を余儀なくされた。


今の指名手配同様の状況におかれるわけだが、

その際、金聖住は、身の危険を少しでも回避するため「金日成」に改名したと言われている。

(北朝鮮や朝鮮総連傘下の(昔の)朝鮮学校では、次のように教えている。1920年代後半に、

 ある同志が「金聖住は、わが民族の星とならん」と激励し「金一星(キム・イルソン)」 と命名したが、

 他の同志が「星とはなんだ。わが民族の太陽と成れ!」と激励して「太陽」をあらわす「日」と「一」、

 「成」と「星」をいれかえて朝鮮語では同音の「金日成(キム・イルソン)」と命名したと教えている)