2006年4月13日、我が輩は、横浜桜木町の<みのる歯科医院>に行った。
ここだけの話だが、実は、我が輩は、前歯4本すべてが固定式の入れ歯なのだ。
だから定期的にメンテナンスを受けなければならない。
<我が輩言語>の一つ、
ー可笑しくって歯が抜けそうだ!
というのは現実性があるのだ。
指導の際、柔軟体操等でジャンプする都度、
ー入れ歯が落ちたら道場生は辞めるだろうなぁ
と思うこともままある。
我が輩の<入れ歯秘話>を語ろう。
今を去ること26年ほど前、<健全な不良>だった我が輩は、
ケンカの技術に磨きをかけるためだけに極真会館東京城南支部(以下「道場」)で汗を流していた。
あの頃の極真空手は、
ーケンカ空手!
と胸を張って自慢しており、
ー空手はケンカをしなければ強くなれない!
と公言してはばからなかったからだ。
少年マガジン連載の人気漫画『空手バカ一代』のモチーフはまさにそれだった。
だから受けたのだと思う。
学歴社会・管理社会に対するアンチテーゼが、血の気の多い若者に支持されたのだ。
仮に漫画で
ー健全な青少年育成のために極真空手はある!
てなことを主張したとしても、誰も見向きもしなかっただろう。
だいちそれじゃ漫画にならない。
我が輩が所属する「道場」内の組手も、
全日本大会(当時の極真には全日本大会しか無かった)などの試合を目的とするものでなはく
ケンカ自慢の「道場」内の猛者達との<ケンカのような組手>で負けないためだけにあったはずだ。
少なくとも最強を自負する朝中生・朝高生の我が輩と
奄美大島出身でやはりバンカラ高校の目黒高校生の緑健児君とはそういう関係にあり、
廣重毅師範に意図的に競わされていた。
だから「道場」は出入りが激しかった。
せっかく3万円程度(当時は大金!)払って入門した白帯が、
<ケンカのような組手>を見たその次の稽古には来なくなるのだ。
同期の人達も凄い速度で辞めていった。
ー健全な青少年育成!
を掲げる今の極真諸派とは明らかに違う<不思議の国>だったのだ。
少なくとも我が輩と同世代の松井章圭君や緑健児君など現在の極真諸派の上層部は、
そういう環境を前提にして入門し、当たり前のように修行したはずだ。
だから我が輩は、長じて少年部の指導をする際、
ーいいですか! テコンドーを絶対ケンカなんかに使ってはいけません!!
と指導する我が輩自身が恥ずかしくなることがままある。
今日の午後11時台のNHKに出演し、
ーぼくは水泳の練習が嫌いです!
と公言したオリムピック金メダリストの北島康介選手が、
司会役のタレントに
ースイミングスクールで子ども達を指導する時は同じ事を言っているんですか?
と質問されて困った顔をしながら、
ー練習をしなければ強い選手にはなれません! と言ってます・・・
とバツが悪い顔をしながら答えたのと、ほぼ事情は似ているかも知れない。
我が輩は、伝統空手、柔道、ボクシングを経て、朝中2年の頃に入門したわけだが、
東京城南支部が創設されて1ヶ月後に入門したため<会員番号30>だった。
凄い速度で上の番号の「先輩」達が消えて行くので、
いつの間にか道場内では、若輩でありながら<先輩格>になってしまった。
緑君は、我が輩より歳が1つ上だが、
1週間ほど我が輩が先に入門(彼はおそらく<会員番号31>)していたので一応先輩待遇となり、
彼は我が輩に敬語に近い言葉で接してくれていた。
それだけ「道場」内では、歴然とした先輩後輩関係があったのだ。
だが、<ケンカのような組手>に先輩後輩の仁義はなかった。
ー強い者が勝って残り、弱い者は負けて「道場」を去る
という厳しさがあった。
だから凄い速度で「道場」生が減っていった。
このような環境だから、
強そうで生意気そうなのが、「道場」に入門してくる。
ある日、廣重師範が我が輩などの茶帯に言われた。
ーシメ役になれ!
具体的にはこうだ。
あまりにも「道場」生が激減したので、組手を行う日は週1回、しかも希望者だけということになった。
さらには茶帯が<手加減して受けてやる>、ことになった。
これが落とし穴だった。
強そうで生意気なのが組手を希望すると、
廣重師範が、プロ野球のコーチのように3つのブロックサインをだす。
①生意気度・下の場合→耳にふれたらローキックを中心に下半身をメッタ打ち
②生意気度・中の場合→おでこにふれたら何でも良いからKOしろ
③生意気度・上の場合→鼻にふれたら「殺せ」。近くに東邦医大がある。責任はオレが持つ
だったと記憶している。
朝高1年の我が輩は、忠実にそのとおり実行した。
流石に③はなかったが、組手の相手は、ほぼモルモット状態で、技の完成度を確認していたのだ。
当時の我が輩は、
ニグロに近いパンチパーマーで、
眉毛と目の角度が、アルファベットの「V」の字だったし、
アウトロー学生の中では恐れられていた現役の朝高生ということもあり、
当然のことながら「道場」内では恐れられていたようだ。
これが16歳から始まる<入れ歯人生>につながった。
ある日の組手。
我が輩より5~6歳年上で、日本電信電話公社(現NTT)に務めていた武市という高知出身の緑帯の後輩と組手をやることになった。
当時の「道場」の組手作法では、後輩が攻撃してきて、先輩がそれを受けて反撃し、
後輩が
「まいりました!」
と言えば、数秒でも終わるといものだった。
ところが彼はなかなか攻撃してこない。
我が輩に対し、怯えているのがわかったので、
(しょうがないなぁ)
と思ってこちらから攻撃することにした。
明らかに油断があった。
1m程度しか離れていないのに、我が輩が
「オラァ~」
と奇妙な気合いを入れて突進した。
顔面ノーガードだった。
我が輩の<怒りに満ちた異様な形相(よく言われたが、自分では絶対分からない)>に
驚いた武市君は、
「うゎ~」
と助けを求めるような奇声を発し、
禁じ手であるはずの顔面への強打をはなったのだ。
見事なカウンターだった。
ワン、ツー、パンチが我が輩の人中(鼻と口の間の急所)に炸裂した。
我が輩は、
(&%$#”!)
という状態で目から火が出た。
それだけではない。
ーポロッ、ポロッ
と普段の歯磨きで見慣れた前歯が2本、「道場」の床に落ちたのだ。
相当きいたが、
ガキなりに先輩としての意地があったので、倒れなかった。
廣重師範が、
「だいじょうか!」
と叫んだが、
我が輩は
(だいじょうぶなわけがないじゃないか!)
と思いつつも、反論できるわけもなく
慌ててトイレに駆け込み、血だらけの口を開けて鏡を見た。
(ひでえぇ~)
まさに化け物だった。
次いで恐怖と懺悔の顔に満ちた武市君がトイレに入ってきた。
「オスッ! すみませんでした! ・・・・・
前歯は弁償させていただきます。 オス! すみませんでした! オスッ!・・・」
(弁償?)
当時、親のスネをかじっていた我が輩には、
金には無頓着で、金かね言うのは、多少汚らわしいと思っていた。
前歯がいかに高いかを知らなかったし、
後輩がいきなり金のことを言ってきたので不愉快になって言った。
「ほんなもの、いらねえよ!
(前歯が抜けると<さ、し、す、せ、そ>が言えなくなる。だから「そんな・・」が「ほんな・・・」、となる)
数ヶ月後の飲み会で武市君が言った。
「あの時は、後で先輩に殺されると思いましたよ」
我が輩は思った。
(そのとおり!)
次の日、痛みが激しかったので、自宅近隣の歯医者に行った。
何回目かの治療をした後、歯医者がオモニと相談したらしい。
ー固定の入れ歯をいれる、
というものだった。
我が輩に異論はない。
あの恐怖の音が始まった。
ガリ、ガリ、ガリ
当時の歯医者は威張っており、何の説明もないまま我が輩の歯を楽しそうに削っていった。
(なんで、前歯がないのに削るんだ?!)
と口を開けながら疑問に思ったが、まな板の鯉状態なので口には出せなかった。
終わってみると、
きれいでがんじょうだった前歯の隣の2本の歯が、削られており、
キリスト教徒の墓石のように真四角なものだけが歯茎からチョコンと出ていた。
(これじゃ、まるでギララカッパじゃないか!)
と、鏡に写った我が身を恥じる16歳の少年がいた。
歯形をとって本物入れ歯が来るまで、3週間はかかると言われていたので、
(こんな顔じゃ、朝高の連中にバカにされてしまう!)
と、次の日からマスクをつけて絶対はずさなかった。
やっとの思いで<金の入れ歯>が到着し、それをつけると、
24万円(当時、大卒の初任給が10万円程度)も請求された。
オモニも驚いて、慌てて太陽神戸銀行六郷支店(現三井住友銀行)に貯金をおろすため
アボジに行ってもらった。
この年以来、正月のお年玉がなくなったと記憶している。
今でこそ、我が輩は、この入れ歯を<男の勲章>だと思っているが、
あの頃は、<恥のモニュメント>だった。
だから前歯の近くに反則パンチを喰らうと、
キレてしまい相手をコテンパンにやっつけなくては気が済まなくなった。
この事件以来、我が輩は歯医者不信におちいった。
当然、あの歯医者にはいかなくなった。
歯医者の世話にならないために、3度3度の食事の都度、まめに歯を磨くようになった。
だが、しょせんは無駄な抵抗で、虫歯は不可避のようだ。
そのため歯医者に行くのだが、何回も変えていった。
今から14年ほど前、
兄弟のような従姉妹の弟に
ー良い歯医者知らないか?
と相談したら、
ーあんちゃん! オレの高校の同級生に和田というのがいて、腕はなかなかいいよ!
と紹介してもらった。
良い出会いだった。
通院してみると、和田さんは、歯の治療に対する説明を熱く語る。
あの藪医者とは雲泥の差だ。
30分も説明することもあり、
「いや、我が輩は素人ですから、お任せします・・・」
と、言うと、やむなく説明を辞める、そんな感じの良心的は歯科医師だ。
つまり金儲けの歯医者ではないのだ。
よくテレビや雑誌で年収4~5千万の歯医者が登場してくるが、
歯医者の開業医でそれだけの年収を得るためには、
相当の(患者の)数をこなさなければならないはずだ。
保険適用外で、1本100万円単位の入れ歯治療をたくさんこなせば可能ではあるが、
金儲けのために、そんなことばかりやっている者を
はたして<歯科医師>といえるかどうかは、はなはだ疑問である。
その場合、明らかに<客商売>なのだから、歯医者と呼べば十分だろう。
和田さんのように丁寧な治療の説明を行えば、不可能に近い年収だ。
だから我が輩は、腕もさることながら、和田さんを全面的に信頼している。
我が輩は、
和田さんに保険金請求や患者のカルテ等を処理するコンピューターを
「どうして導入しないんですか? 何で未だに手作業で事務処理をしているんですか?」
と聞いたが、
彼は、
「便利なのは分かるんですが、
コンピューターは心がないというか、事務処理的になってしまうので・・・
つまり自分が目指すきめ細やかな医療とは違うんです」
と言った。
まさに<医師>と言う尊称があてはまる立派な方だ。
職人気質で、
ー自分が納得できないものは、患者にも勧めない、
というポリシーは、まさに歯科医師と言えるだろう。
だからあまり儲からないようだ(本人もその気がない)。
我が輩は、和田さんが好きだ。
だから寿命のきた<入れ歯>も、あたらしいものに変えてもらった。
そして今でも滋賀県彦根市から、神奈川県横浜市にあるこの<みのる歯科医院>に通院してくる。
我が輩の方が3歳年上なので、
順調に行けば、我が輩の方がお先に「天国(地獄かも知れないなぁ)」へ行くはずだ。
だから和田さんを
「一生ものの主治医の一人だ」
と思っているし、本人にもそう伝えてある。
我が輩は、治療が終わり、別れ際に言った。
「我が輩が乗っている飛行機が不運にも落ちて
身元不明で運良く歯形だけが確認できるようだったら、
是非、和田さんが鑑定して下さいね!
我が輩は成仏できるかも知れません」
異質な我が輩硬派感傷主義に、
ーどう答えて良いかわからない、
というような顔をした和田さんが、少したって苦笑いをしていた。