昨年、川上中学校が老朽化のため、改築されました。
その校舎がこちら。
川上村はもともと、林業の村として栄えていました。
そのため、村の面積の約80%が森林でそのほとんどが「カラマツ」。
ということで、カラマツで作ってみました。
そして、そのカラマツ校舎の横に立っているのが「player alien」。
「何?これ」と思った方も多いのでは・・・。
初めて見る人はたいてい、そう言うでしょう。
この「player alien」、もともと愛知万博(愛・地球博)で展示されていたものを、寄贈していただきました。
さて、この「player alien」、何ですか?という人のために説明します。
ただし、僕が説明しても、分かりずらいので、この「player alien」の作者の「さとうりさ」さんのお言葉をお借りしまして・・・。
(愛・地球博アートプログラム「幸福のかたち」より抜粋)
『程度の差こそあれ、人はそれぞれ自分のどこかが欠けていると感じながら生きています。
精神的なもの、思想的なもの、身体的なもの、物質的なもの、環境的なもの、先天的に、後天的に、突発的に、継続的に、、、。
そしてまた、こうしているあいだにも、無数の「打撃」が、誰かの何かを「奪取」し、「喪失」を生んでいます。
作品のタイトルになっているplayer alienとは、player piano(自動演奏ピアノ)をもじった造語です。
お互いがエイリアンであるということを忘れ、自分の理想とそぐわない者や理解できない事を自動的にエイリアンとして定義付けている。
作っては壊し、壊しては作り、パズルゲームをしているかのようです。
このタイトルはその様子を意味しています。いつか、私たちがこのゲームを止めることができたとき、
同時に「幸せのかたち」という言葉自体も世の中から消えるのではないか。
ぼんやりとですが、とそう思います。
また、この作品のフォルムには、
自分の何かが欠けていても、この先何かを欠いてしまうとしても、また、欠いてしまった人を目の前にしても、 いつでも、動じずゆったりと立っていたい」
という願望が込められています。』
以上、「さとうりさ」さんのお言葉をお借りしました。
ちなみに、「心臓」の部分が離れているのは、「不完全な状態」「心が離れた状態」を表現しているそうです。
「木造校舎とエイリアンと私」。
「部屋とYシャツと私」的な組み合わせですが、こうして意味を知ると、また見る楽しみができたのでは・・・。