みなさん、こんにちは!

お久しぶりのブログ更新です。

今日は標題の件について皆さんにご相談させて頂きたいです🦆



僕がロースクール生活で一番困っていることは、授業を受けることにモチベーションを持とうとしても持てないことと、受けることに価値を感じたくても無意識に脳がそれを拒否してしまうことです。



その理由は、昔から自分は、「それをすることに大きな意味(価値)があると感じられないものにしかやる気が湧いてこない」からです(これは細部へのこだわりが強いというASD的傾向からきてるのではないかと自分は分析しています)。




では、なぜローの授業に意味を自分は感じたくても感じられないのか?

→大部分の学生の司法試験の合格を先生方は願ってるのに、司法試験合格に直結しないことばかりをさせているのでは...?と自分が感じてしまうからです。



どのローも司法試験合格実績を毎年掲げており、先生方は大部分の学生の司法試験合格を願っています。それなのに、司法試験の過去問の解説や参考答案の配布をメインにやってくれる授業を自分はほぼ受けたことありません(司法試験の解説が若干あった授業は1、参考答案の配布は0)。試験合格に一番大切なのは「過去問」だというのは合格者の多くの方々が仰るところです。



だとすれば、ロー生的には、授業で「司法試験の過去問の解説と参考答案の配布」をしてくれ、予習は「司法試験の過去問を解くこと」としてくれれば、一番合格に直結するのでは...?と感じるのになぜローはそれをしないんだろう?というのが素朴な疑問です。



仮にローが学者養成期間なら、上述のような授業内容は納得のいくところなのですが、ローに通う人の大部分は司法試験受験資格取得のために通っており、また、それを先生方もわかってくださってるはずです。だとすれば、なぜローは上述のような授業内容をするのでしょうか...?







未熟な意見ながらも、司法試験の過去問だけをメインに使って授業内容を仮に行えば、合格者の方々の言質にもとづいたものでもあるので、よりローの合格率が上がり、その授業を行うローの人気も高まり、そのローの経営もうまくいくので、ローにとってもプラスだと思うのになぜそれをしないんだろう...?と自分の脳は思ってしまいます。



そんなわけで今のローのやってる授業に自分は受ける価値を感じたくても感じられず、上述の自分の特性から、ローの授業への意欲も持てないし、受ける価値を感じられず、それが悩みです。(勿論これはローの授業が良くないから成績が悪いんだ!とか開き直る趣旨では全くなく、自分の特性を前提として、それを踏まえて何を改善すれば、自分はより良い人生を生きれるかを探究する趣旨です)。



自分の特性を前提として、どのように認知の歪み(?)を改善すれば、ローの授業に意欲や受ける価値を感じられるようになるか、みなさんにご意見、ご教授頂きたいです🙇