最近の地震の影響か、娘が一人で眠れない様で、タブレット片手に昔購入した電子書籍を見ながら添い寝しております。

特に連合赤軍を題材にした漫画を読んでおり、あの人物はどの人物(漫画では実在の人物を山岳の名前にしている)と調べながら見ていると、私のブログがヒットするので、こんな適当な人間のブログが上位にヒットして、真面目に新左翼運動を研究している人達に申し訳ないと思います。ただ、新解釈三国志みたいにかみ砕いで端折っている今風な作風の読み物は導入するにはいいかもしれません。

 

他のブログでも書いた通り、連合赤軍系の一級資料で、連合赤軍兵士の植垣氏が、私の地元の信金(第二地銀)に銀行強盗をしたことを知ったのが2010年で、丁度、あさま山荘事件から40周年という時にたまたま、黒松の仙台銀行に用事があって検索したところ、あさま山荘で暴れた坂東容疑者(今は超法規的措置で逃亡中)が銀行強盗したという事が書かれており、当時の地図を見てもかなり巧妙な逃亡ルートをしたのだろうなと感じました。と、いうのも当時祖父の屋敷が台原丘陵の南端にあって、あの先は未開通の山田ったことを母から聞いていて、当時の作戦を考えた人はきっとけもの道みたいなところを逃げながら警察の包囲網を敷いた泉区側ではなく、黒松→旭ヶ丘→台原→梅田町→宮町方面に逃げたのかなと感じました。これは普通であれば八乙女方面から七北田→市名坂→大沢→富谷方面に逃げるのを予想するわけで、逆に行くというのが信じがたいので、この作戦立案した人は相当の切れ者なんだなと思いました。特にこの坂東隊の坂東容疑者と植垣氏は、多くの赤軍派の強奪部隊が逮捕されても最後まで残っていただけに高学歴で頭がいい人達だったわけで、それを調べていくうちにこんなのどかな場所でも後のあさま山荘に繋がる事件が有ったという事でその当時はのめりこみました。

 

とはいえ、震災があり、その後の結婚、子育てという事で、連合赤軍事件についてはあまり調べることは無くなりましたが、今回子供の添い寝で連合赤軍関連の漫画や書物を読むことが増えたので、たまたま自分のブログに辿り着いたわけです。それでもって、一日数人がこの放置ブログに来ているようなので、暇を見てはぼちぼち書こうかと思います。