今回の話は革命左派の瀬木政児が1971年の10月に逃亡する話です。次回書こうと思っている植垣氏(赤軍派)の革命左派内での痴漢事件の話は瀬木が逃亡を2度企てる間に起ります。

瀬木は革命左派の真岡の銃砲店での強奪事件、北海道への逃亡、前々回の印旛沼事件のメンバーの一人で、永田洋子が頼りにしていたメンバーです。腕力があるので、幹部である寺岡さん・後に幹部になる吉野、同じく逃亡する前澤などと主力メンバーとして活躍していました。

彼の逃亡するきっかけとなったのは、印旛沼事件(山岳ベースから逃亡した早岐やす子さん、向山茂徳さんを処刑)後に彼の友人までも処刑するかという話を聞いたからです。印旛沼事件の後から、永田や坂口、寺岡の意見と合わない人間は粛清するムードが高まったからです。


処刑の対象になった人

瀬木の友人の彼女・・・赤軍派の青砥と瀬木の友人(革命左派)と二股をかけた事から永田から批判を受けます。それ以降、永田と距離を置きます。

瀬木の友人・・・印旛沼事件の後から、高圧的な脅し(彼の仲間を山岳ベースに連れて来いと寺岡らに脅されます。もし連れて来ない場合は処刑するという内容)をかけるような変化に気付き、彼女と一緒に活動を離れます。(もちろん青砥と別れさせました。)

瀬木の友人の仲間・・・印旛沼事件以降、永田の様子がおかしいので、瀬木の友人が、この人に山岳ベースに行くなと伝え、実際行くことは有りませんでした。その後、活動から離れることになります。


瀬木自体は寺岡さんや吉野と、粛清部隊の実行犯でしたが、(前澤は粛清に批判的で、外される)、公安のスパイ容疑があるものならともかく、永田らと対立するメンバーをも粛清するという考えには賛同できなくなっていたようです。

瀬木は印旛沼事件の後、後にリンチで死亡する印旛沼事件の運転手の小嶋和子に求愛されますが
松本志信という彼女がいるので断ります。そして、永田の粛清の話に加担したくないので、彼女である松本を山岳ベースに呼んで、カップルという立場を利用して、交番襲撃計画の偵察役や山岳ベースの燃料の補給役など後方支援をするように考えます。

それでも耐えられなくなって、1971年10月上旬、松本と逃げようと企てます。(一度目の逃亡)
一度目の逃亡は、瀬木が彼女に「逃げよう」と言いますが、彼女は自分を試すものだと思い断ります。瀬木は拳銃(なぜかある)を持って単独で逃亡しますが、追いかけて来た坂口・吉野に説得させられます。瀬木にとって坂口は兄貴分であり吉野は苦楽を共にした同僚です。銃口を坂口に向けたくても向けられずに吉野に殴られて無抵抗になり捕捉されます。

この後に赤軍派から植垣氏が爆弾作り(おいおい)の手伝いにやって来ますが、その時の瀬木は「消耗しきっている(やる気がない、覇気がない)。しょぼくれた奴がいる。」と言われます。

植垣氏が爆弾作りを一通りレクチャー(なんか楽しそうですが、非常に恐ろしいことです。みなさん真似はしないようにお願いします。)し終わると、瀬木らは会津若松の交番を襲撃する為にカップルを組んで交番が見えるラブホテルに泊まります。ホテルに泊まるといっても偵察が任務で、警官の交代の時間帯や勤務体制を調べて、一番襲えそうな時間帯を調べるというものでした。瀬木&松本、前澤・小嶋でカップルを組み偵察したようです。この頃になると、瀬木は故意にトラブルを起こし(自動車事故)この計画を阻止します。もちろん、この計画のリーダーであった寺岡さんを巧みにだますのですが・・・。

瀬木・寺岡さんらは、丹沢にある山岳ベースに戻り、永田らと合流します。そして、寺岡さんは戻ると永田・坂口と赤軍派の森・坂東らと連合赤軍設立の為の東京で会議を行ないます。このチャンスを見て、瀬木は松本を連れて逃亡を考えます。きっと、会津若松のホテルで打ち合わせをしてたのだと思います。1971年10月下旬、チャンスが訪れます。永田・坂口・寺岡さんは、まだ会議中で、丹沢ベースには瀬木・松本と妊婦であった金子さんだけになりました。丁度その日が松本の誕生日で、金子さんはドーナツを作ってお祝いしようと一生懸命でした。金子さんが夢中になっている隙を見て、二人は逃亡します。(二度目の逃亡)

数日後、瀬木と松本は逃亡中の名古屋で警察に捕まります。このことで革命左派は丹沢ベースを捨てて、井川ベースに移動する事になります。瀬木に惚れていた小嶋さんは、丹沢ベースを撤収する時に加藤能敬さんと親密になります。そして二人は、恋人になります。このカップルと、金子さんが後に命を落とすことになります。皮肉といえば皮肉だと思います。瀬木の様にこの時の永田らの豹変に気付きましたが、加藤さんも小嶋さんもまだ気付いていなかったのです。もし、瀬木と松本が残っていれば、加藤さん・小嶋さんのカップルの様に間違いなく処刑されてたと思います。ほんと、紙一重だと思います。ただ、加藤さんが処刑された理由は、小嶋さんとの関係だけではありません。それは、次回の植垣氏の痴漢事件の後の回に書きたいと思います。

次回は時系列にすると、1971年の10月中旬になります。植垣氏があの永田洋子に痴漢をするという考えられない事件が起ります。こんな大それた事をしておいて、植垣氏が現在も尚、健在で、処刑に遭わなかった理由も書きたいと思います。つづく^^