東京戦争や安田講堂での敗北で、民衆の支持を失った学生運動で、一番の勢力を誇ったのが赤軍派でした。先鋭化したとはいえ、東大京大クラスの頭脳と行動力を持つ人達を全国から集め、1969年の11月に大菩薩峠のふくちゃん荘で軍事演習を行ないます。
この軍事演習は、首相官邸を襲い、東京戦争や安田講堂で逮捕された仲間を奪還させる作戦の演習でしたが、スパイ等の暗躍で、読売新聞はじめ、山梨県警や警視庁にもばれており、赤軍派の主要メンバー53名が一斉検挙されます。これにより、学生運動で一番の勢力を誇る赤軍派は壊滅的ダメージを受けます。
日大での闘争で逃げ出していた森恒夫、その腹心であった坂東國男らが赤軍派の中心メンバーになります。また、のちに山岳ベース事件で死亡する遠山美枝子さんの旦那さんはこの時に逮捕されてました。
森恒夫と対立した重信房子は1971年に日本を出国して日本赤軍として海外に拠点を作ります。遠山美枝子さんはこの重信氏と仲が良く、後に森氏にスパイ容疑をかけられて粛清されます。(多くの書物やネットでは、永田洋子が遠山さんの美貌に嫉妬して殺害したと書かれていますが、私はそういう意見には否定的です。永田洋子=極悪人=不細工のレッテル張りはどうかと思います。粛清されたメンバーにはそれぞれ、森・永田による考えがあります。嫉妬であればまず植垣氏が粛清されるべき対象だと思います。なぜならこの人はかなりのイケメンだからです。)
また、別のグループはよど号をハイジャックして海外に拠点をつくりました。
国内にいる赤軍派はM作戦(強盗して資金を獲得する作戦)の森恒夫がリーダーとなり、海外の2つグループと、逮捕されたグループと更に別れて、森の意向に従わない人は、組織再編という名目で追放されたりします。
民衆や一般学生まで取り込んでいた学生運動から
↓
東京(大阪)戦争・東大安田講堂
↓
大菩薩峠事件
↓
海外派の分派
↓
組織再編
と、次第に赤軍派は森が考える組織に変わって行くのでした。
次回は、革命左派(永田洋子がいるグループ)が赤軍派が再編される時に何をしていて、なぜ、思想も組織形態も違うグループが共闘から連合、合併して連合赤軍に至ったかを書きたいと思います。
※ 若干時系列等間違っている部分もございます。その都度直して行きたいと思います。
この軍事演習は、首相官邸を襲い、東京戦争や安田講堂で逮捕された仲間を奪還させる作戦の演習でしたが、スパイ等の暗躍で、読売新聞はじめ、山梨県警や警視庁にもばれており、赤軍派の主要メンバー53名が一斉検挙されます。これにより、学生運動で一番の勢力を誇る赤軍派は壊滅的ダメージを受けます。
日大での闘争で逃げ出していた森恒夫、その腹心であった坂東國男らが赤軍派の中心メンバーになります。また、のちに山岳ベース事件で死亡する遠山美枝子さんの旦那さんはこの時に逮捕されてました。
森恒夫と対立した重信房子は1971年に日本を出国して日本赤軍として海外に拠点を作ります。遠山美枝子さんはこの重信氏と仲が良く、後に森氏にスパイ容疑をかけられて粛清されます。(多くの書物やネットでは、永田洋子が遠山さんの美貌に嫉妬して殺害したと書かれていますが、私はそういう意見には否定的です。永田洋子=極悪人=不細工のレッテル張りはどうかと思います。粛清されたメンバーにはそれぞれ、森・永田による考えがあります。嫉妬であればまず植垣氏が粛清されるべき対象だと思います。なぜならこの人はかなりのイケメンだからです。)
また、別のグループはよど号をハイジャックして海外に拠点をつくりました。
国内にいる赤軍派はM作戦(強盗して資金を獲得する作戦)の森恒夫がリーダーとなり、海外の2つグループと、逮捕されたグループと更に別れて、森の意向に従わない人は、組織再編という名目で追放されたりします。
民衆や一般学生まで取り込んでいた学生運動から
↓
東京(大阪)戦争・東大安田講堂
↓
大菩薩峠事件
↓
海外派の分派
↓
組織再編
と、次第に赤軍派は森が考える組織に変わって行くのでした。
次回は、革命左派(永田洋子がいるグループ)が赤軍派が再編される時に何をしていて、なぜ、思想も組織形態も違うグループが共闘から連合、合併して連合赤軍に至ったかを書きたいと思います。
※ 若干時系列等間違っている部分もございます。その都度直して行きたいと思います。