命いっぱい生きよう | かわいのどかオフィシャルブログ Powered by Ameba

命いっぱい生きよう

この地球は、行動の星だと言われています。ですから、人は行動しなければ、何も生まれて来ない、そして行動しない者には天は味方をしてくれないそうです。「20歳だろうが、80歳だろうが、立ち止まってしまう人は、そこで老人である」という言葉があります。「今日という日」以上に大切な日は有りません。1輪の花を育てると同じように、心を育てる、、、鉢植えに種をまき、毎朝それに話しかけながら水をやる、やがて小さな芽が出てきて、日ごと大きくなり、1輪の美しい花が咲く、毎日毎日、花が成長して、変化してゆくことに気付く、、


「日々、新又日新」(ひびあらたにして、またあらたなり)私たち人間も同じです。今日のことは今日で終わり、又明日は新しい自分に出会える、、、何も、そこで留まることなく、日々刻々と、変わってくるのですから、心配することはないのです。

よい縁はよい縁を連れてきます。悪い縁は悪い縁を呼んてきます。だからこそ、スタートを正すことが大事なのです。例えば、仕事のご縁も同じです。新しい仕事が舞い込んで、その縁を大切にして、一生懸命にその仕事に打ち込めば、 其れが認められて、次の仕事、次の仕事と、繋がってゆきます。

 もし、物事が上手く行かないと感じたら、「喝」と、自分に大声で言って見て下さい。物事の流れを変えたい時の「一喝」です。悪縁は、自ら断ち切ることです。そして、良い縁を大切に繋げていくこと、其れが人生のコツです 


私自身の考えとしては、1番大切なことは、心を磨くことが全ての原点であり光だと思います。心の玉を、一生懸命に磨いて欲しいと思っています。分かりやすく言えば「禅の心」を゙持つということなのでしょうか


「三毒を捨てる」、欲張らない、イライラしない、物事の道理を知る。「三毒」とは、欲望や煩悩、貪りの心、怒りの感情、常識を知らず、教養がかける状態のことを言いますが、この「三毒」を捨てることが出来れば、自由で幸せな生き方が出来るという仏教の教えがあります。欲にとらわれず、何事にも、執着せず、一点の曇もない状態が、「無」の状態です。自分の考えに固執しない、執着しない、人の幸せの為に尽くす、、自分が幸せに成りたいと思うなら、周りの人達も幸せでなければなりません。その為に他人に 尽くすことが自らの幸福に繋がるのです。人は誰でも、欲望やエゴといった汚い心が有るのは当たり前です。悟りとは、そうした欲望やエゴといったものを認識して、自分の気持ちを自由自在に操られる状態を言います。自分には、汚い心などは有りませんと言うのならば、悟ろうとする自体、意味が有りません。法然(ほうぜん)は「現実の苦しさを感じていなければ、本当の悟りは見えてこない」と言っています。「道は山のごとく登ればますます高し、徳は海の如し入ればますます深し」この言葉を゙直訳すると、「仏の道は山のようなもので、登っても登っても、より高い山が現れる、仏の徳は海のようなもので深くもぐっても、更にその先がある」という意味です。自身の心を゙磨いても、磨いても、より沢山の壁にもぶつかることもあるでしょう。何処まで磨けば良いのかと、悩むこともあるでしょう。されど、自身の為にやめないで欲しい!何が1番大切なことかというと、行動することなのです。そして、全ての愛です。あの物理学者のアインシュタインが、残した言葉に「この宇宙的な力は愛である」と言っています。つまり、愛というエネルギーが宇宙の中で、最も強いエネルギーだと言っているのです。ひたすら、ひたすら、行動すること、、、その先は必

ず自分の輝く光が見えてくるから、、