​ コープとマーシュ(写真=右がコープ)の化石戦争で、初めに成果を挙げ続けたコープが化石を大量に「発見」できたのは、中西部のある肥料会社のオーナーと契約していたからだ。1億年前の海成層から成る採掘地では、この時代のたくさんの化石が出た。それは、すべてコープのもとに送られた。​
 

 

首長竜の首の位置をあべこべに​

 それを知ったマーシュは、この肥料会社のオーナーを買収し、逆に自分のところに化石を送らせるようにした。それが、2人の対立の始まり、となった。

​ 2人の仲に決定的な罅が入ったのは1967年、コープのもとに持ち込まれた北アメリカ産の断片化石エラスモサウルス(首長竜)の記載と復元がきっかけだった(写真)。​

 

 

​ 脊柱と肩帯、腰帯の一部のみの不完全な骨を基に復元する際、コープは頭骨を尾の先につけるというミスをし、しかもそのまま論文で発表した(=頭の位置を尻尾の先に間違えて付けたコープの復元とそれに基づく復元想像図)。それを、ペダンチックな性格のマーシュが、逆だと指摘し、コープは大恥をかいた。もちろん論文は取り下げた。​

 

 


相手方の発掘地から化石を盗み出したコープ​

 顔に泥を塗られてコープは、コロラド州キャニオンシティーで、相次いで重要な化石を発見し、発表し、巻き返しを図った。

​ それに対抗し1870年、マーシュは、生母の叔父の富裕な銀行家だったジョージ・ピーボディの資金支援を受け、カンザス州スモーキーヒル白亜層で、翼竜プテラノドン化石を発見してみせて、コープの鼻を明かした(写真=武装した助手と化石ハンターに囲まれたマーシュ。1872年)。​

 

 

​ 翌年マーシュは、カンザス州石灰岩層から見つかった白亜紀の「歯を持った鳥」ヘスペロルニスの発見を発表した()。鳥は歯を持たないが、解剖学的には紛れもない鳥で、これは鳥と恐竜をつなぐ「ミッシングリンク」とみなされた。進化論を発表して間もないチャールズ・ダーウィンもこの発見を重視し、マーシュに賞賛の手紙を送った。​

 


1年に56本も学術論文を書いたコープ​

 発見に後れを取ったコープは1973年、アメリカ政府の西部調査の一員になり、化石発見競争に参戦した。

 それからは、もう泥仕合だった。コープは、マーシュ側の化石ハンターを買収して、化石の横流しを得た。コープもマーシュも、互いにスパイを放って発掘地を監視し合った。

 この頃、コープは生涯で最高の成果を挙げた。西部のフィールドで精力的に動き、わずか数日で数十体もの化石を発見し、何と1872年には56本もの論文を書き、様々な学術誌に掲載した。

 その後、2人の間では大型恐竜の発見競争が行われた。競争は過熱し、もう醜い泥仕合になり果てていた。
 

盗掘や流血沙汰も​

 ある時コープは、マーシュの発掘地に夜陰忍び込み、そこから化石を盗み出した。ところがその化石は、コープの盗掘を予期してマーシュが偽の化石をばらまいておいたものだった。マーシュはそれを、暴露した。

 両者の発掘チーム間で投石や殴り合いなどの流血沙汰も起こった。

 めぼしい化石を漁った後は、調査地を爆破し、相手方が立ち入れないような暴挙すら厭わなかった。

 新聞を巻き込んだ双方のスキャンダル暴露合戦も過熱した。

 他の古生物学者たちも、2人に距離を置くようになった。


2人ともカネを蕩尽し、最後は破産​

 2人の泥仕合は、まず初めにコープが大学の職を失い、後述のようにマーシュの妨害に遭い、公職に就けず、貧窮のうちに亡くなったことで、決着がついた。

 生まれは裕福な家庭のコープの方が恵まれていて、一方のマーシュはニューヨーク州の貧しい農家に生まれで、しかも3歳の時に母親と死別し、それ以降は義母とその連れ子たちと育ったが、父親とは不仲だったというように不遇だったが、前記のように叔父の富裕なピーボディの援助を受けられるようになって境遇は逆転した。マーシュは叔父の財政支援で、自費で化石探しを続けられた。今日も自然史博物館として著名なイェール大学付属のピーボディ自然史博物館は、マーシュが叔父に勧めて創ったもので、そこに化石を収蔵し、古生物学の一大研究拠点にできた。


科学アカデミー会長にもなったマーシュだが、葬儀には参列者は2人だけ​

 マーシュは、古生物学の功績でアメリカ科学アカデミーの会長にもなった。会長になると、マーシュは自己の権威を使って、コープがいかなる公職にも就けないように工作した。

 マーシュは、コープよりも2年長く生きられたが、しかしカネを使いすぎ、やはり破産、晩年は生活にも困窮するほどになった。元科学アカデミー会長だったにもかかわらず、亡くなった時、葬儀の参列者はわずか2人だったという(マーシュは生涯、独身を貫いた)。

 今日、両者の乱発した恐竜などの種名は前記のようにかなり整理されたが、力尽くで集めた化石は、今日、古生物学発展の基礎になったのは事実で、それは喜びたい。

 

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