​ 現代世界で、特にアフリカなどの貧困国で主食となっている最重要作物は、トウモロコシである。先進国でも、トウモロコシは家畜の飼料、あるいは改良された品種は副菜や菓子などに利用されている。さらに一部は、アルコールに転換され、自動車燃料にまでなっている(写真=アメリカのコーンベルト)。​

 


 

新大陸で唯一栽培された穀物のトウモロコシ​

 トウモロコシは、新大陸メキシコ高原が原産だ。世界の先進国の主食となっているパンの原料のコムギが中東の「肥沃な三日月地帯」と呼ばれる高地で、日本をはじめ中国、東南アジアで主食となっているコメは、中国・長江流域で栽培化されたが、新大陸で栽培作物となった穀類は、トウモロコシだけだ。

 旧大陸では、前述のコムギ、コメ以外にも、オオムギ、ソルガム、トウジンビエ(後2者はアフリカ原産)など栽培穀物は豊富だが、新大陸の栽培穀物は、トウモロコシだけだった。

 栽培穀物は、大量に生産でき、しかも保存がきく。文明の発展に不可欠の食料だった。新大陸ではそれがトウモロコシだけだったために、オルメカ、テオテワカン、アステカ、マヤ、タワンティンスーヨ(インカ)など独自の文明の発展まで、旧大陸に3000年は遅れた。
 

メキシコ原産だが原種のテオシンテは穀物利用ではなかった​

 前述のように、トウモロコシはメキシコ高原で栽培化された。今から9000年前くらいのことだ。

​ ただ原種だったテオシンテ(写真)は、現代のトウモロコシのように穂軸を作らない。​

 

 

 そのため最初は、茎を採って、そこからサトウキビのように甘い汁を搾り取り、ジュースや乳児用離乳食にしていたらしい。

​​ これが主食になるには、テオシンテを改良して穂軸を大きくし、そこから穀粒を採れるようにしなければならない(写真からテオテワカンの穂、テオシンテとトウモロコシの雑種、トウモロコシの穂軸)。

 


4000年前頃、ついにメキシコで主食に​

 その最初の兆候の証拠は、5300年前頃のメキシコ中央高原から見つかった。乾燥したその土地の洞窟中で発見されたトウモロコシの穂軸は、穂軸を包む葉鞘を失いつつある過程にあった。そうなれば穀粒を容易に穂軸から剥がせる。しかしそれらの穂軸は、熟した時になお実がこぼれ落ちやすい習性があり、また穂軸も非常に小さかった。トウモロコシ穂軸の改良がなお必要だったのだ。

 4000年前頃、トウモロコシ穂軸は、ついに主要な食料源となる兆しを見せるようになった。穂軸の長さは6センチにも達し、メキシコ中央高原とホンジュラスで栽培されていた。トウモロコシがアメリカ合衆国南西部に導入されたのも、この頃のことだった。

​ 以前、中西部のチャコ・キャニオンを訪ねたことがある。砂漠の高原に多数の石造建造物が残り、そのうち最大のプエブロ・ボニト(写真)は壮観そのものだったが、この遺構を残したアナサジ文化の経済は、砂漠を灌漑して開いたトウモロコシ畑だった(23年2月6日付日記:「コロラド高原のチャコ・キャニオンに先史インディアンが砂漠に造った巨大石造建築物プエブロ・ボニートを訪ねた思い出と先史時代の環境破壊」を参照)。​
 

 

いちはやく南米西海岸にも渡る​

 トウモロコシは、メソアメリカ南部地峡を経て、南米西海岸にも伝わった。

 4500年前には早くもエクアドル沿岸のレアル・アルト遺跡に現れた。同遺跡は、12ヘクタールもの面積を占める大集落跡で、おそらく1800人の住民が暮らしていただろうとみられている。それだけの人口を養うには、安定した主食であるトウモロコシが必要だ。実際、トウモロコシ穂軸も見つかっている。

 興味深いのは、大集落址の中央にさほど大きくはないが、2基の土盛りのマウンドが形成されていたことだ。この少し後に、ペルーに現れる巨大記念物の先駆けだ。

(この項、続く)


昨年の今日の日記:「退任間際にやっと置き土産としてスターリニスト中国のウイグル人権弾圧を報告できた人権高等弁務官のバチェレ氏」