​ 今から1世紀近く前の1936年6月、スウェーデン南部のボクステンと呼ばれる泥炭地で子どもたちに偶然に発見された中世の殺人事件の被害者の姿が、人類学・考古学的に生前そっくりに復元された(写真)。
 

 

すわ殺人事件か​​​

 発見地は、デンマークのユトランド半島を対岸に見るヴァールベリという街。子どもたちは、北欧に広く広がるボクステン泥炭地に泥炭を採取に行って、泥炭層の中から顔を覗かせていた骨に気がついた。

 すわ殺人事件かと通報を受けた警察は色めき立ったが、顔をのぞかせていた「被害者」の服装はあまりにも現代的でなかった。警察は、ヴァールベリ博物館の館長や地元の専門家を呼び集めた。

​ 調査の結果、遺体は何百年も前から泥炭地に埋まっていたものであることが明らかになった。その時点で、多くの骨はまだ地中にあるようだったが、布切れや木の杭の一部は地上に出ていた。その後、遺体と衣服は慎重に発掘され、保存と研究のために博物館に運ばれた(写真)。

 


 

頭部を鈍器で強打され、遺体は泥炭地に運ばれて木の杭で固定して埋めた​

 木の杭は、殺害した遺体を泥炭地に埋めて固定するために用いたもののようで、犯人は「完全犯罪」を狙ったらしい。

 確かに犯人の思惑は的中したようで、それが証拠に1936年になるまで何百年間も遺体は泥炭地に埋まったままだった。

 後に「ボクステンマン」と呼ばれるようになったこの遺体は男性で、泥炭地の沼に約700年も沈んでいたにもかかわらず、驚くほど良好な状態で保存されていた。彼の頭蓋には、鈍器で強打されたらしい大きな骨折があり、これが致命傷になったようだ。遺体は、沼の底に固定するための木の杭がで胸を刺されていた。

 犯人は遺体を泥炭地に埋め、分解されて痕跡をなくそうと考えたようだが、それにしては泥炭内の環境に無知だった。泥炭地は、長年の草の堆積のおかげで有機物が分解されにくいのだ。
 

軟部組織まで残るボグ・ボディーに似る​

​ 古くは中石器時代から新石器時代を経て青銅器時代、鉄器時代に、何らかの祭祀行為で(一部は不注意で自分で沼にはまって)、生け贄と思われる人が、北欧中心に泥炭地に埋められることが長く行われていた。ボグ・ボディー(湿地遺体)と言われる(写真=初期鉄器時代のデンマークの湿地に埋納されていた「トルロンマン」)。​

 

 

 上掲の写真のように、多くのボグ・ボディーは、軟部組織も残る。ただ「ボクステンマン」は、そこまで保存状態が完璧でなかったようだ。頭髪は残ったが軟部組織は残っていなかったので、顔などは分からなかった。

 毛織物や革で出来た衣服はよく保存されていた。ボクステンマンの巻き毛だけでなく、彼が身につけていた衣服も腐敗から守った。
 

生前の姿が蘇り博物館に展示​

 彼の衣服は、中世ヨーロッパの衣服の最も優れた例の1つだ。ボクステンマンは頭巾をかぶり、厚手の外套と毛織物のチュニックとタイツを身につけ、革の靴を履いていた(写真=被害者の着ていたチュニック)。彼の衣服と身体の分析から、背が高く、裕福な人物だったことが分かる。ただ身元は、分かっていない。

 

 

 スウェーデンのハッランド文化歴史博物館は、著名な法医学者で考古学者でもあるオスカー・ニルソン氏にボクステンマンの顔の復元を依頼、生前の姿形、顔などが蘇った。

​ 今、復元さたボクステンマンの像は、ハッランド文化歴史博物館に保存されている遺体のそばに展示されている(写真)。​

 


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