定住生活以前の遊動する狩猟採集民は、自然に実る木の実・果実、根茎類を食べ、野生動物を狩猟して生活している。今ではアフリカのごく一部にしか残らない狩猟採集民だが、1万2000年前頃に開始された農耕以前、世界に拡散していた約1000万人の狩猟採集民は、すべて遊動し、こうした生計を営んでいた。


狩猟採集民に集団間の争いはなかった、と考えられていたが……
 狩猟採集民は、環境収容力の範囲内でしか人口を増やせず、しかも遊動生活のために母親は乳児を抱いて移動する。このため出産間隔も4年ごとと、自然に人口調節されていた。
 食物は、冒頭のように環境から得るし、遊動するので基本的に余剰食糧は持たない。腹が減ったら、女性が採集して来た植物性食物を基本食として食べ、男性が狩りから得てキャンプに持ち帰る獣肉はごちそうであった。
 したがって集団間の争いは起こらない、と考えられていた。


ケニア、トゥルカナ湖西岸の12体のヒトの骨
 集団間の争い、すなわち戦争は、農耕と牧畜開始後に余剰食糧や家畜など「守るべき」財を蓄積した後に起こった、と想定されていた。実際、個人的な「喧嘩」レベルを超えた狩猟採集民の集団間の争いの証拠は、考古学的にも民族誌記録でも知られていなかった。
 ところがこのほどケニア、トゥルカナ湖西岸で発見された、更新世末から完新世初頭にかけての遊動する狩猟採集民の集団惨殺遺体の証拠は、およそ1万年前でも集団間の激しい殺し合いがあったことを明白に示した。
 英ケンブリッジ大のM・ミラゾン・ラールやケニアなどの国際研究チームは、トゥルカナ湖西岸のナタルクの、かつて小さな沼だった跡で、12体の人類遺体を発見したが、このうち10体に激しい暴力を受けて殺された痕跡を見つけ、英週刊誌「ネイチャー」1月21日号に発表した(写真=「ネイチャー」のカバー)。


「ネイチャー」カバー


骨に暴力の加えられた跡
 骨格は、沼沢地に埋もれたために保存が良く、骨格も関節していた。
 チームが暴力を受けて殺されたと判断したのは、遺体に意図的に埋葬された形跡がなく、また頭蓋の1つに黒曜石製の小石刃が食い込んでいたり(写真)、一部の個体に大きな外傷が複数見られたりしたからである。


小石刃の打ち込まれた頭蓋

 犠牲になった遺体は、埋葬されることもなく、そのまま現地に放置された。関節していたから、ハイエナやハゲワシなどスカベンジャーに食われることがなかったことも分かる。殺害後に速やかに沼沢地に埋もれた、と考えられる。


「平和」な狩猟採集民にも集団間の殺し合い=戦争があった
 研究チームはこれらの人骨群を、トゥルカナ湖の肥沃な湖岸で約1万年前に起こった集団間の暴力を伴った戦いの結果、と考えている。
 戦いの原因は分からないが、テリトリーをめぐっての衝突の可能性がある。この頃、静止人口状態の狩猟採集民の間でも緩やかな人口増があり、いさかいが増えていたのか。
 野生チンパンジーの間でも、メスをめぐっての集団間の戦争は観察されている。
 基本的に平和と考えられた狩猟採集民でも、凄惨な殺し合いはあったのだ。


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