1996年7月28日、アメリカ、ワシントン州のコロンビア川河畔で1人の若者によって発見されたヒトの骨格は、北米人類学界にとって画期的な発見となり、また大きな論争の的にもなってきた。


約9000年前の古人骨
 それは、氷河期に陸化していたベーリンジア陸橋を渡ってきた今日の先住アメリカ人の祖先と見られる人骨の中で、最も完全、かつ最古の古人類骨格であったからだ。
 死亡推定年齢50代の男性全身骨格の年代は、放射性炭素年代測定法で8340~9200年前(較正年代)とされるが、発見地に因んで、「ケネウィックマン」と呼称されるこの骨格の行方が、直近の研究の発表で、今、危うい状況になってきた。
 イギリス科学週刊誌『ネイチャー』7月23日号にモルテン・ラスムッセンら欧米研究チームが発表した遺伝子解析の論文で、これまでの形態学的研究と異なり、ケネウィックマンは世界のあらゆる人類集団の中で現代のアメリカ先住民に最も近縁であることが分かった。


形態学的研究でアイヌやポリネシア人に近いという結果も
 それ自体、発見地がコロンビア州であることから当然の結果、と思われるだろう。しかしケネウィックマンの研究史からすれば、それは従来の学説を覆す結果であり、ケネウィックマン骨格の行方にも大きな影響を与えるものとなる可能性が高い。
 ケネウィックマンの発見以来、クロヴィス文化を作ったパレオ・インディアンよりは新しいが、現代の先住アメリカ人の子孫の骨格ではないか、と重要視された。
 ところがその後の形態学的研究ではケネウィックマン先住アメリカ人とは近縁ではなくアイヌ民族やポリネシア人に近い、という結果が出された。
 すると、アメリカ先住民の系統と異なる別の系統の人類が、後氷期直後の北米大陸にいたことになる。
 ケネウィックマンの原郷土とその後の先住アメリカ人との関係について、大きな謎と議論が浮上したのだ(写真=ケネウィックマンの頭蓋と復顔)。


ケネウィックマン


遺伝子解析の結果は、先住アメリカ人に最も近いという結果
 今回の研究チームは、1998年から地元のバーク自然史文化博物館(ワシントン州シアトル=写真)に保管されているケネウィックマンの骨の一部を提供され、DNAの解読に取り組み、成功した。


ケネウィックマン収蔵の博物館

 それを、アイヌ民族、ポリネシア人を含む全世界の1000件以上のゲノムデータと比較したところ、ケネウィックマンは世界のあらゆる人類集団の中でも現代のアメリカ先住民に最も近縁であることが分かった。それらの先住民集団には、ケネウィックマン発見地に近いコルビル族も含まれていた。
 過去の頭蓋分析研究も再検討したところ、全ゲノムの比較解析とは対照的に、頭蓋分析に基づいてケネウィックマンを特定の現代人集団と関連付けることはできないことが分かった。


アメリカ先住民5部族の返還要求
 となると、遺伝学的比較解析の結果が正当性を得ることになり、それに基づく限り、ケネウィックマンと先住アメリカ人との間には過去9000年にわたる遺伝的連続性が認められるという結論になる。
 この結論によってにわかに浮上してきたのは、ケネウィックマン「再埋葬」の可能性である。
 今回、ゲノム比較対象とされた北西太平洋沿岸地域に暮らすアメリカ先住民5部族は、ケネウィックマン骨格が自分たちの祖先のものであると主張し、アメリカ先住民墓地保護・返還法(NAGPRA)に基づいて返還を求めていた。その後は、伝統儀式に基づいて再埋葬されることになる。


返還要求に正当性与えるか
 それが頭蓋形態に関する当初の研究で、ケネウィックマンはアメリカ先住民でもなければ、先住アメリカ人近隣諸部族に近縁でもないという結論が導かれたため、「ケネウィックマンはアメリカ先住民ではなく、したがってNAGPRAは適用されない」という司法判断が下され、ケネウィックマン骨格は先住民には返還されず(再埋葬されず)、バーク自然史文化博物館に保管されて科学研究の対象となっていた。
 今回の遺伝学研究の結果は、返還・再埋葬を求める先住アメリカ人の主張に正当性を与えることになり、ケネウィックマンは、カウ・スワンプ人骨などオーストラリア産古人骨化石が1980年代に再埋葬されてしまったのと同じ運命をたどる可能性が出てきたといえる(「再埋葬」問題については、11年6月6日付日記「ローマで瞥見しただけの古代アクスム王国のステレと文化遺産の保管地の議論」参照)。


昨年の今日の日記:「ポーランド紀行:ワジェンキ公園の巨大なショパン像と死して心臓を祖国に持ち帰らせたショパン」