kawanobu日記/初めて見た書の世界と石割山への道;ジャンル=文化、紀行 画像1

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 日曜日の14日に事前に懇意にしている山中湖の宿に1泊の予約を入れておいた。ところが朝になってみると、天気は思わしくない。8月29日に山中湖北の大平山ハイキングコースを縦走し、雲行きが怪しくなったので、最後の石割山を諦めて途中下山した「うらみの山」の再挑戦のつもりだった。

予定変更し、西新宿でバスに乗る前に書の展覧会へ
 それが、天気が思わしくない。山で雨に降られたら厄介なので、この日は宿に行くだけに変更し、石割山は翌日、朝早くから挑戦することに変更した。
 バスは西新宿から出る。
 そこで早めに家を出て、5月から6月にかけての南米周遊で一緒になった方の書の展覧会に寄っていくことにした。
 西村玉翠の雅号を持つ書家で、旅行中は、そんな方だとは知りもしなかった。旅の終わりにある程度打ち解けて、失礼のない範囲内の方に名刺を差し上げたが、それでご案内をいただいた。案内状をいただいた以上、いつかは行こうと思っていたので、ちょうどよい予定変更であった(写真上=案内状に印刷されていた原本の書)。

悪筆なので書の世界は縁遠いのだが
 会場は、京王プラザホテル、ロビーギャラリーである。ご本人だけでなく、たくさんのお弟子さんの作品も展示されている(会期は19日、金曜日まで)。
 学校に上がってから字の下手なことでコンプレックスを持っていたリブパブリには、想像もつかない世界である。書で同時に絵画のような芸術に仕上げている。書の展覧会なんて初めての経験で、こんな世界もあるのか、と開眼した。
 幸い、ご本人もおられ、久闊を叙した。短時間だが、いろいろなことを教わった。
 写真の登場であるままを忠実に再現する写実主義が絵画の世界で廃れたように、パソコンによる様々な毛筆書体の普及で、ただ字が上手いだけでは書ではないとは思っていたが、なるほど書を用いた芸術である。

長女の産毛で作った毛筆で書いた書
 その書を書くのに使う毛筆の最高品質のものは、赤ちゃんの産毛だという。ご本人の最初のお子さん(女の子)が生まれた時、1年くらいで産毛を切ったが、わずかしか取れなかったとか。その産毛で作った筆も、すぐにはなじまないので、数十年がかりでやっとなじむ筆になったという。
 掛け軸に表装されている「花」という文字が、お嬢さんの産毛で作ったやっと納得のいく作品だそうだ(写真中央の右端の書)。
 使う和紙も、新しいものはダメで、年をへたものでないと墨になじまないらしい。西村玉翠さんの自宅の階上には、数十年前の和紙も寝かせられているそうだ。放っておくと、シミが出るので、その管理も大変なのだとか。
 どんな世界でも、当たり前のことながらプロの技の奥は深い。

平尾山再訪、澄んだ空気の青空に富士山の勇姿
 さて、その石割山、途中に高さ7、8メートル、幅もそれくらいはありそうな割れた巨岩をご神体にした石割神社があるが、標高1413メートルと、山中湖北では最も高い山である。
 8月末に行った時は、大出山や長池山、大平山、平尾山を縦走してきたが、前述の理由で最後に諦めた。分岐点で降りてきたのだが、その道を今度は登る。1度降りているので、登りでも勝手は知っている。
 朝、8時ちょいにスタートしたが、もう9時に分岐点に登ってきて、距離は大したことはないので、まず西に折れて平尾山(標高1318メートル)の山頂に立つ。
 手前に大平山を抱いたような富士山が秋晴れの青空に屹立し、青い山中湖が美しく輝く(写真下)。まだ朝のうちなので、空気も澄んでいる。やっぱりこの景観を見ると、山は止められない。
 晴天だが、さすがに秋なので、直射日光を受けてもきつくはない。むしろ柔らかな日射しで包み込んでくれるようだ。
 ここで、小休止し、再び分岐点まで東進し、そこから北東に針路をとり、未踏の道を歩いて石割山を目指す。
 道は――かなり荒れた、急傾斜であった。

・昨年の今日の日記:「ついに高指山山頂に立って、白くきらめく山中湖を遠望と野田ドジョウ政権閣僚資産公開で経産相枝野の疑惑」
・昨年の昨日の日記:「大都市世田谷でラジウムの怪、枯れ尾花に怯える反原発派の思惑外れ」