kawanobu日記/南山公園の朴正熙大統領名の安重根顕彰碑とNソウル・タワーへ 画像1

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 ソウル3日目に訪れた安重根義士記念館で肩透かしをくらったことは、5日の日記で触れた。日本から訪ねてきた旅行者を気の毒がったガードマンのおじさんが案内してくれた、巨大な安重根像(写真上)の隣りに、巨石が林立している様には驚いた。すべて安重根の顕彰碑である(写真中)。

朴正煕大統領の顕彰碑
 ここを訪れる前に立ち寄った眼鏡屋で、タクシー運転手に渡すべく、行く先をハングル文字で書いてくれた接客係の男性は、韓国では「義士」のはずなのに、今の若者は安重根の名前すら知らない者がいる、と嘆いていた。しかし訪れた銅像に、まだ新しい花輪とたくさんの献花が供えられ、さらに顕彰碑が林立しているところを目の当たりにすると、安重根の韓国での位置付けはやはり特別なのだと納得できる。
 巨石の顕彰碑の中には、大統領の肩書きでの朴正煕名のものもあった(写真下)。
 高さ約1.5メートル、横幅3メートルはありそうな巨大な花崗岩塊である。朝鮮戦争(韓国では「韓国戦争」と呼ぶ)の後遺症がなお残り、ソウル市街地にも掘っ立て小屋が並び、山は丸裸で、鉄鋼、造船、電機、自動車といった工業施設がほぼゼロだった貧しい農業国の韓国を、今日の先進国に離陸させた間違いなく救国の英雄が朴正煕だった。
 独裁的手法で、政敵の金大中を東京から拉致し(暗殺する計画だった)、多くの民主人士を逮捕・投獄・処刑したなどの点で今も批判されるが、朴が1961年の5.16軍事クーデターで政権を掌握する前まで、韓国の民主政治は混乱と同義語だったと言っていい。政治家は腐敗し、ただ私利私欲しか考えていなかった。市民社会に、ヤクザ的なヤミ勢力が深く、大きな力を振るっていた。
 1人当たりGDPは数百ドルで、現在の50分の1程度しかなかった東アジアの貧困国だったのである。

韓国先進国への道を拓いた国父
 途上国の独裁者として異例にも腐敗と無縁で、政商から賄賂を受け取らず、私的蓄財もしなかった。北の独裁者、金正日が「共産主義者」を自称しながら、国民の饑餓をよそに海外銀行秘密口座に巨額の不正資金を蓄えているのと大違いである。
 北朝鮮、金日成の侵略の野望こそ、アメリカ軍主体の国連軍の参戦で退けることができたが、朴の力による開発独裁がなければ、今も韓国はアジアの遅れた三等国であったかもしれない。65年に朴の強力なリーダーシップで、学生たちの反対運動を押しきって調印した日韓基本条約の前まで、武力はもちろん経済力でも北朝鮮の後塵を拝していたのだ。国連軍がいなければ、いつ北朝鮮に再侵略されるか分からない国だったと言っていい。
 朴が、だから安重根への顕彰碑を建てた時、きっと第2の独立(経済的離陸)への自信を深めていたのだろう。ちなみに碑の日付1979年9月2日は、安重根生誕100年の記念日である。救国の英雄で、今、韓国民から国父と慕われる朴は、きっと義士の安重根に我が身をなぞらえていたに違いない。そんな思いで、顕彰碑を眺めた

蒸し暑さの中、Nソウル・タワーの建つ南山に登る
 韓国旅行の第2の目的だった安重根義士記念館の参観も果たせなかったので、急に疲れが出てきた。台風7号の置き土産のような、湿気たっぷりの蒸し暑い空気が、南山公園の丘の上にも包んでいる。
 水を飲み小休止してから、一念発起し眼前にそびえる南山の頂上まで歩き、そこに建つNソウル・タワーに登ることにした。南山の標高は262メートルだから、大したことはないとたかをくくって歩き始めたのだが、やはり疲労と高温多湿の環境から体が重い。歩き始めてすぐ、横合いからひょいと出てきたおばさんが、私を追い抜き、見る間に距離を開いていく。そのうち背中が見えなくなった。
 途中の森の木が、あちこちで根こそぎ倒れていた。安重根義士記念館から距離は約1.5キロほどだったが、平地でなく坂道続きであることがつらい。あえぎあえぎし、もう少しと自分を叱咤激励しつつ坂を登っていくと、なんと前方から最前のおばさんが涼しい顔で下りてきた! 足取りもしっかりしている。きっと毎日、南山登山を日課にしているのだろう。

360度のパノラマが開ける
 へばってNソウル・タワーの下にたどりついたのは、歩き始めて40分くらいたっていたと思う。普通はロープウエーで登ってくるのだが、帰りはとても歩いて下りられない、と覚悟した。ちなみにロープウエー運賃は、片道6000ウォン(約420円)、往復7500ウォンで、たった1500ウォン(約100円)の節約でしかなかったから、歩いて登るのは経済的には全く割が合わない行為であった。
 タワーの展望台までのエレベーター利用料は、8000ウォンで、持参したガイドブックの料金から1000ウォン高くなっていた。デフレの日本ではあり得ない値上げである。タワーの高さは、約240メートルだから、南山の海抜と合わせると約500メートルとなり、360度のパノラマは絶景であった。
 ただ多湿のためか煙っていて、午前中に訪れた大統領官邸の青瓦台もうっすらとしか見えなかった。それ以上に、持っていたデジカメがバッテリー切れとなったのが、手痛かった。

昨年の今日の日記:「全国学力テストのワースト3道県の物語るもの:沖縄県、北海道、高知県、祖国復帰運」