“ シンデレラマン”のニックネームはジム・ブラドッグという実在の人物と家族がどん底からのし上がりヘビー級世界チャンピオンになったという人々に勇気と感動を与えたことから、人々は“ シンデレラマン”と呼ぶようになりました。
あらすじ
負傷で引退したボクサーに、大恐慌の不景気の波がおそいかかります。
日銭稼ぎでもきゅうきゅうしている失業者である彼に、一夜限りのカムバックの話が持ち込まれて...。
「ビューティフル・マインド」のロン・ハワード監督とラッセル・クロウが再び組んで実在したボクサーを描く感動ドラマ。1930年代の大不況下のアメリカ。負傷のためプロボクシングの世界から引退して肉体労働者となっていたジムは、愛する妻と子供のため、勝ち目のない新進ボクサーとの試合を引き受ける。ジムを見守る妻役でレニー・ゼルウィガー、マネージャー役で「サイドウェイ」に主演したポール・ジアマッティが共演。
大恐慌時代の日本は?
大恐慌は1929年10月24日(木)に端を発したが、拡大し世界に恐慌の連鎖反応を引き起こした。翌週の10月29日(火)に24日以上の大暴落が発生し、それぞれ暗黒の木曜日(10月24日)、悲劇の火曜日(10月29日)と呼ばれた。
その時代の日本経済は昭和恐慌と呼ばれ、アメリカ向けに輸出されていた生糸が激減し、危機的状況に陥った。
都市部では多くの会社が、倒産し失業者が溢れた。
小津監督の映画『大学はてたけれど』がヒットし話題になったのもこの頃になる。1935年まで続いた冷害・凶作、昭和三陸津波のために疲弊した農村では、娘を売る身売りや欠食児童が急増した。
「黄金の20年代」1920年代
映画冒頭の時代は1928年11月30日
マディソン・スクエア・ガーデン
グリフィス対ブラドックはブラドッグのKOシーンで始まる。試合ごとに強くなるブラドッグはヘビー級王座も狙えると言われる。
ファイトマネー3544ドルをタクシーの中でマネージャーであるジョー・グールドから渡される。自宅に帰って来て、妻メイは初めてブラドッグが試合に勝ったことを知る。テレビ中継はなく、携帯連絡もなく口頭での勝利報告となる。
宝石箱・札束は生活の豊かさを余裕を感じさせる
2度のニュージャージー州ゴールデングローブ王者、ライト・ヘビー級制覇 21戦0敗うち16戦KO勝ち。アイルランド人の希望の星。未来の世界チャンピオンと妻メイが誇らしげに語る。
この頃が大恐慌前のアメリカにとってもブラドッグにとっても黄金時代でした。
大恐慌4年目1933年9月25日
1933年3月には銀行の取り付け騒ぎが発生した。
ブラドッグ家族の生活も激変していました。
昨日、ガスと電気の督促状が来たと、妻。家賃の請求書もテーブルに多分、何十枚と放置されたまま。
今夜試合があり、勝敗に関係なく50ドル手に入ると言う。助かると妻メイ。娘とテーブルを囲みながらブラドッグはお腹いっぱいの夢をみたからと言って娘ローズマリーに食事を分けてあげる。
港湾関係の求職のため工場ゲート前に、群れて求職を求めるが、選ばれたのは5人。ブラドッグは選ばれなかった。
次の試合はニューヨークの新鋭エイブフィルドマンとの試合。しかし、試合を前に左手を骨折していたことが判明。
そのまま試合に望むが無気力試合と見なされたか、レフリーに無効試合として没収されてしまい、プロモーターからはライセンスを剥奪されてしまった。
再び、工場前のゲートに立ってアピールするが、5人の募集に選ばれなかった。
連邦緊急救済法(1993年5月成立)
1993年12月
メイと娘がアパートに帰って来ると、誰かがいる!アパート前に、管理人が来ている。職務上、どうしても電気を止めないといけない、と言って止めてしまう。「止めないと会社からクビにされてしまう」と。
妻メイは寒い家で、これ以上、2人子供たちを守ることが出来ないと判断し叔父と妹のところに預けてしまう。
それを知ったブラドッグは、子供たちを引き取るため動く!
滞納分を払い込む為に連邦緊急救済金を申請し給付を受ける。恥を忍んで行く訳だが、女性窓口係の「まさか、貴方までが!」という憐れみの眼差しの中で救済金を受け取る。(救済法は1933年5月22日に成立)
しかし、未だ不足している為に、コミッショナーの集まる処(?)に出向いてカンパを乞う。(ここでも家族の為に恥を忍んで行く。)ハットを差し出す。偉そうなコミッショナーたちの間に立つ。声をかけてカンパする人。ドル紙幣を入れて「ガンバレ!」と優しい人。ブラドッグの顔を見て去る人もいる。
最後に、マネージャーだったジョーは「幾ら足りない?」「1ドル50。」その金額をカンパしてくれる。有り難い男だ。
突然のマッチ〜明日‼️
暫くして、ジョーがぶらりとブラドッグの家を訪ねて来る。訪問の真意をはぐらかすが、「試合に出ろ!」「コミッショナーは許可してくれる。今回の試合だけだ!」「復帰ではない。ワンファイトだ!」
対戦者がケガて欠場するという緊急事態。しかも、明日の試合のヘビー級第2位のグリフィンが相手だという。王者戦の前座。「明日だ!」「幾らだ!」「250!」
ジョーは最初から負け戦になると読んでいた。今までKOされなかったブラドッグがグリフィンにKOされる、そんなシーンをイメージしていた。
ラストマッチのはずが、、
1934年6月14日
メインマッチは 後々対戦することになる王者で悪役が似合うベア。“ プリモ・カルネラ対マックス・ベア” 戦が組まれ、その前座がブラドッグ対コーン・グリフィンだ。
2Rもたないだろうと大方予想されていた。1Rでダウンを奪われる。しかし、サイドのジョーはカウント10まで伏せていろ!と叫ぶ!試合は3Rに入りジョーが小さなダウンを奪ったあと、遂にKOする。
港湾のバイトを求めてゲートに立ち、借金返済に回ってしまった賞金では足らない生活を支えようとする。
そこに再びジョーが現れ、ライセンスを取り戻す妙案があるからと、ブラドッグに試合に立つことを勧める。
復帰戦の2試合の先にはヘビー級王者マックス・ベアとの試合が待っていた。
王者マックス・ベアvsブラドッグ
1935年6月13日
マディソン・スクエア・ガーデン
ボウル
■NBA(WBA前身)/NYSAC/世界ヘビー級タイトルマッチ
1935/06/13 ○15R判定 3-0(9-5、11-4、7-7) マックス・ベア(米)
※NBA(WBA前身)世界ヘビー級王座獲得
※NYSAC世界ヘビー級王座獲得
※世界ヘビー級王座獲得
■NBA(WBA前身)/NYSAC/世界ヘビー級タイトルマッチ
1937/06/22 ●8RKO ジョー・ルイス(米)
※NBA(WBA前身)世界ヘビー級王座陥落
※NYSAC世界ヘビー級王座陥落
※世界ヘビー級王座陥落
史上最も大きな番狂わせをおこして世界王者になったとして知られており、2005年にはそれを実写化したシンデレラマンという映画が作られた。
ジム・ブラドッグは1964年にリングボクシング殿堂入り、1991年にハドソン郡殿堂入り、2001年に国際ボクシング殿堂入りを果たした。
最後までご覧いただきありがとうございました。