米国大恐慌前の映画

大恐慌は1929〜1936年頃


エジソンズ・ゲーム

発明王エジソンとライバルたちがアメリカ初の電力送電システムをめぐって繰り広げたビジネスバトル=電流戦争を映画化。「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」のベネディクト・カンバーバッチがトーマス・エジソン、「シェイプ・オブ・ウォーター」のマイケル・シャノンがライバルのカリスマ実業家ジョージ・ウェスティングハウスを演じ、共演にも「女王陛下のお気に入り」のニコラス・ホルト、「スパイダーマン」シリーズのトム・ホランドら豪華キャストがそろった。19世紀、アメリカは電気の誕生による新時代を迎えようとしていた。白熱電球の事業化を成功させた天才発明家エジソンは、大統領からの仕事も平然と断る傲慢な男だった。実業家ウェスティングハウスが交流式送電の実演会を成功させたというニュースに激怒したエジソンは、ネガティブキャンペーンで世論を誘導。事態は訴訟や駆け引き、裏工作が横行する世紀のビジネスバトルへと発展していく。監督は「ぼくとアールと彼女のさよなら」のアルフォンソ・ゴメス=レホン。(映画com)


華麗なるギャツビー

F・スコット・フィッツジェラルドの名作小説をロバート・レッドフォード主演で映画化。「ゴッドファーザー」シリーズのフランシス・フォード・コッポラが脚本を手がけ、「年上の女」のジャック・クレイトンが監督を務めた。1920年代のアメリカ。ニューヨーク郊外のロングアイランドの豪邸で暮らす大富豪ギャツビーは、毎夜のように盛大なパーティを催していた。隣人ニックはパーティに招待され、謎に包まれたギャツビーの過去を徐々に知るようになる。ダコタの農家に生まれたギャツビーは、第1次世界大戦中にデイジーという女性と出会い恋に落ちる。しかしギャツビーがフランス戦線へ送られた後、デイジーはシカゴの富豪と結婚。帰国したギャツビーはその事実を知り苦しむが、再び彼女の愛を取り戻すことを決意し、5年の歳月をかけて大富豪へとのし上がっていく。1975年・第47回アカデミー賞で衣装デザイン賞と編曲賞を受賞。


華麗なるギャツビー(1974)

The Great Gatsby

1974/アメリカ

配給:CIC


雨に唄えば1

無声映画からトーキーに移行し始めた頃のハリウッド。人気スターのドンとリナは何度も共演し結婚を噂される間柄だが、ドンはつけ上がった態度のリナに愛想を尽かしている。そんなある夜、ドンは歌も踊りも上手い新進女優キャシーと恋に落ちる。その後、ドンとリナの新作がトーキーで製作されることになるが、リナの致命的な悪声のために不評を買ってしまう。そこでドンはリナの声をキャシーに吹き替えて製作することを思い立つ。「踊る大紐育」のジーン・ケリーとスタンリー・ドーネン監督によるミュージカル映画の傑作。


雨に唄えば

Singin' in the Rain

1952/アメリカ


雨に唄えば2



シカゴ

伝説的演出家・振付師ボブ・フォッシーが生んだ名作ミュージカルを、レニー・ゼルウィガー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、リチャード・ギアの共演で映画化。振付師として活躍していたロブ・マーシャルが初メガホンをとり、2003年・第75回アカデミー賞で作品賞を含む6部門に輝いた。1920年代、シカゴ。スターを夢見るロキシーは、ナイトクラブの舞台に立つヴェルマを憧れのまなざしで見つめていた。ロキシーは自分をショーに売り込んでくれるという男と不倫するが、その言葉が嘘だったことを知り彼を殺害。刑務所に送られた彼女は、同じく殺人罪で投獄されたヴェルマと出会う。ヴェルマは敏腕弁護士ビリーを雇って自らを被害者として演出し、獄中にいながらも世間の注目を集めていた。ロキシーもそれを真似てビリーを雇い、ヴェルマを上回る人気を獲得するが……。


シカゴ

Chicago

2002/アメリカ

配給:ギャガ・コミュニケーションズ


コットンクラブ

禁酒法下の1920年代に栄えた黒人街ハーレムにあるナイトスポット“コットンクラブ”を舞台に、そこに展開される芸人やヤクザたちの人間模様を描く。製作はロバート・エヴァンス。エグゼクティヴ・プロデューサーはダイソン・ロヴェル。監督は「ワン・フロム・ザ・ハート」のフランシス・フォード・コッポラ、ウィリアム・ケネディ、フランシス・フォード・コッポラ、マリオ・プーゾの原作を基にケネディ・コッポラが脚色。撮影はスティーブン・ゴールドブラット、音楽はジョン・バリー、編集はバリー・マルキンが担当。出演はリチャード・ギア、ダイアン・レインなど。


コットンクラブ

The Cotton Club

1985/アメリカ

配給:松竹富士


グレゴリー・ハインズのタップが軽快



大恐慌時代とは異なりますが、紹介しておきます。

グレゴリー・ハインズと言えばホワイトナイツ(1985年)のタップシーンが忘れられない!(白夜とも)享年57歳で癌のため死去。



ミハイル・バシリニコフ

華麗で数奇なドラマみたいな人生を送る。1974年にソビエトからアメリカに亡命した。



最後までご覧いただきありがとうございます。


次回ブログは大恐慌以降の映画を取り上げる予定です。


しばらく前に知人から紹介された本。気にはなっているがそのままになってる!