当時のキャロル・キングは、ソロ・アルバム『つづれおり』をリリースした後であり、シングル「イッツ・トゥー・レイト」が全米チャートの1位を獲得した直後にあたる。この世界中から大注目されていたキャロルが、五輪真弓のデモ・テープを聴いて気に入り自ら参加を快諾したという。
アルバム『少女』には、キャロルの相棒であったベーシストのキャールズ・ラーキー、西海岸派のスゴ腕ミュージシャンの一人で元カレイドスコープのクリス・ダーロウが参加。
そして、プロデュースとエンジニアリングは、録音場所となったクリスタル・スタジオの創始者であり、キャロル・キングの『ライター』のプロデューサーでもあるジョン・フィッシュバッハが担当した。
これだけみても、凡百な物見遊山の海外録音とは明瞭に一線を画しているのが判るはずだ。さらにはここに五輪真弓の才能が加わり、見事なデビュー・アルバムに仕上がっている。
あえて例を出せば、リトル・フィートのメンバーとセッションを繰り広げた矢野顕子の『JAPANESE GIRL』に匹敵する。がしかし五輪真弓のほうが4年も早く、海外のミュージシャンと対等に対峙する先駆を作った、画期的なアルバムとなるわけだ。
日本語のロックの発展期をみるにおいて、五輪真弓の72年のデビュー・アルバム『少女』は、もっともっと評価されてもいい作品だと思う。
フランス語バージョン「少女」
このフランス語バージョンを聞きたいと熱望していたファンが多いですね。五輪真弓さんも原点に帰りたくなると、「少女」に立ち返るそうです。
「少女」が収録された全フランス語アルバム「えとらんぜ」
華麗なるヨーロッパサウンドに乗って全ヨーロッパを制覇! パリ、オランピア劇場で聴衆を魅了!五輪真弓フランス録音アルバム!
1976年、4thアルバム『Mayumity』を絶賛したCBSフランスから現地(フランス)でのアルバム制作の申し出があり、初めて渡仏し、7ヶ月間パリで暮らす。翌年全フランス語によるアルバム『えとらんぜ』が発売された。機をおなじくしてサルヴァトーレ・アダモと出会い、彼の2週間にわたるオランピア劇場でのコンサートにゲストとして招かれた。
五輪真弓25才の時ですね。青春の夢、希望に溢れていた果敢な時代ですね。この頃を原点とすることも分かります。
日本語バージョンはこちら。
どちらも聞いてみてください。
今回は、キャロル・キングのことにはあまり触れることができませんでした。五輪真弓さんとキャロル・キングがその後、出会う機会があったか、どうかも分かりません。
ただ互いに青春時代の忘れることの出来ない思い出てなっているはずです。
最後までご覧いただきありがとうございました。