両親の時代の古い写真を整理してみると、父母が揃って撮っている写真がほぼない。父は婿に来て8人の姉兄弟がいたが、その姉弟との旅行は恒例行事のように行われていたようだ。誕生日とか、還暦祝いや古希など、最低一年に一回は行っていたのではないだろうか。


それから戦友との戦友会なども栃木から離れた福岡まで何度か足を運び宴席を設けている。そして、業者組合での会合旅行など沢山の写真が残っている。


母とは県内の温泉地を訪ねた写真が一枚だけ残っている。


昭和の戦後の風潮とはどうだったのか。

女性は家を守るというか、出不精いう性格だったのか、家にいることを好んだのか写真には残っていない。



女性が外食したり、夫婦で旅行するというのは、まだ流行っていなかったようですね。



外食元年

調べてみると1970(昭和45)の大阪万博が外食元年になったということだ。



昭和40年代に入ると、日本は高度経済成長期を迎え、国民の生活水準が向上しました。この時期には、家庭用電気製品の普及や、ファミリーレストランやファストフード店の登場により、外食が一般的なレジャー活動として受け入れられるようになりました


特に、1970年の大阪万博をきっかけに、外食がレジャー化し、「外食元年」とも呼ばれるようになりました


昭和時代の外食文化は、男性たちが日々の食事を賄う場として、また男性同士で楽しむ場として成立したものが多かったですが、時間が経つにつれて女性たちも外食文化に参加するようになり、外食産業はさらに発展しました







新婚旅行で賑わう宮崎空港


新婚旅行

新婚旅行という概念自体は明治時代から存在していましたが、一般に普及し始めたのは戦後のことです。高度成長期に入ると交通網の発達により、遠方の観光地を訪れるカップルが増えました。しかし、戦後間もない時期は、新婚旅行が一般的に普及する前であり、特に上流階級以外にはまだ珍しいものでした


昭和初期には、新婚旅行の目的地は主に近隣の温泉地であり、伊豆や箱根などが人気でした。また、新婚旅行に行けるのは富裕層に限られていたとされています。戦後の復興と共に、新婚旅行は徐々に大衆化し、1960年代には宮崎が新婚旅行地として注目を集めるなど、新婚旅行のブームが訪れました



振り返ると、隔世の感がありますね。

これからの10年、20年は更に大きく変わるんでしょうね。


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