ある戦歿学生の手記〜「くちなしの花」

を読んだ或るアメリカ人学生の感想


カールトンカレッジ三年生

ローリー・フィルベック

『宅嶋徳光』


俺の言葉に泣いた奴が一人

俺を恨んでいる奴が一人

それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人

俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人

みんな併せてたった一人⋯⋯


宅嶋徳光氏の手記に遺された恋人を想う詩



つい2,3日前にブログを読んで頂いた方の付けた「いいね」で気が付いたことがありました。幾つもの「いいね」で自分がアップしたブログを再発見しました。


あまり、自分のブログを読み返すことがなく、過ぎてしまうのですが、気付かせて頂きありがとうございました。


例えばこちら

生きる肯定感について触れた記事です。


では、感想文を紹介します。

一気に読めます!


カールトンカレッジ三年生

ローリー・フィルベックさんの読後感想文


宅嶋の手紙は悲しくて美しい文で彼の手紙を読めばどこの国の人でも心を打たれると思う。


彼の戦争に対する考えがよく理解出来る。こんなに美しく感情を込めて書かれた日本語の文を今まで読んだことのない私は、初めてびっくりした。


母国語で書かれた感情的な内容は理解し難いと思っていたからである。けれども宅嶋の書いたことが分かって涙ぐむほど悲しんだ。


彼の手紙を読むと、彼が第二次世界大戦でのアメリカの敵ということを忘れてしまうほど彼の勇気と忍耐と、戦争が無意味であるということを痛感した。


湾岸戦争のときに中東に派遣された友達に対する気持ちと同じ気持ちを宅嶋に感じた。


当たり前な事だが、どこの国でもマスコミは自分の主義と制度を支持して、他の国を非難する。


特に戦争の時にその宣伝と戦争の唱導がたくさんあって、戦争が終わってもその考えが残るわけである。


たとえば第二次世界大戦、冷たい戦争、湾岸戦争などがおわったが、アメリカの国民の中では「ジャップ」、有害な「コミ」、信心深い気の狂った狂信者「アラブ」というイメージを持っているアメリカ人は多いと思う。


日本の兵隊に対してもアメリカの新聞や映画から、一般的なアメリカ人は日本の軍隊が天皇のことばかりを考えている狂信者で、軍隊の猛烈な行為に対して日本の国民が何も批判しなかったという誤解がある。


アメリカの国民は日本の兵隊について個人的に議論しないで、必ず大きな狂信的兵隊として叙述された。


そして今でも日本の「カミカゼ」と「セップク」についての話を聞いて、日本人は心の冷たい人間、自分の考えを持たない人と一般的アメリカ人は思っている。


日本の軍隊はアメリカ人にとって不思議で、恐れ、愛、悲嘆などが理解出来ない人間と考える傾向がある。


もろんその誤解は、戦争の時に政府が国民の協力をえるために作り出したものである。


湾岸戦争の時にも、第二次世界大戦の時にも、アラブ人と日本人は大変信仰が違うと言われていたから、とてもあぶないとアメリカの新聞は国民に伝えた。


その話をたくさん聞いた私も、宅嶋の手紙を読んで初めて驚いたわけである。宅嶋の文はアメリカ人が作ったステレオタイプな日本の手紙じゃなかったのである。


宅嶋さんの手紙をみるとアメリカ人が描いた日本の兵隊とはまるで違う。それに宅嶋の手紙の中でアメリカについてのステレオタイプなことが全然ないと思う。


天皇に対する熱狂的なことについて何も書いていない。「死は疑いもない事実」と分かった彼は死にたくないが政府、軍隊に戦わされた。


彼は、子供のため、つまり自分の国の将来のために戦っていた。この理由はどこの国の人でも分かるだろう。


アメリカの戦争の漫画では日本の兵隊をサルで表している。漫画によると動物のように日本の兵隊は敵に対して同情を持たないし、日本の国民は人の真似ばかりする人達だという考えである。


宅嶋の手紙を読み、人間としてしっかりとした考えをもったすばらしい人だと思った。


帝国政府の声明を聞くと極めて心苦しく感じると言い、改革が必要であると書いている。


宅嶋の手紙のような文を読めば、アメリカの新聞や本から学ぶよりとてもいい勉強になる。


敵といってもその敵は人間なのだということを考えなくてはいけない。戦争はつらいことなのてある。



最後までありがとうございました。