今から50数年も遡る前回の万博の時
来年2025年に再び開催予定にはなっています。
横尾忠則さんは1970年の万博に「せんい館」の設計を依頼されたという。それまで反博の立場をとっていた横尾さんだったが、一生に一度あるかないかの一世一代の仕事であると思い直し、反博のイデオロギーを脇に置いて、「手のひらを返すように、国家的事業」を引き受けることにした、という。
1970年前後の時代背景
全共闘、新左翼、70年安保粉砕などが叫ばれ全国大学で大規模デモが発生していた背景があります。ベトナム反戦運動、三島由紀夫割腹自殺など、社会は騒然としていました。
「人類の進歩と調和」という万博テーマ
引き受けたとは言え、このテーマに納得出来ない横尾氏は、テーマを裏切るような建築パビリオンを考え続けた。
アイデアはパビリオン建築現場に足を踏み入れて目撃した時の巨大ドームに組まれた工事用の足場から生まれた。
そのアイデアは全員一致で反対される。しかし、最高責任者に直訴して、アイデアは理解出来ないが熱心さに負けて、許可が出され実行された。
足場は組まれたままで、外見は未完のまま横尾氏のアイデアは実現した。
「未完で生まれて、未完で生きて、未完で死ぬ」
「万博の話はこの辺で、せんい館で完成を見た未完について考えてみたい。人間は未完のまま生まれて、完成を目指して生きようとするが、なかなか完成はしない。そして、ついに未完のまま人生を終わる。未完で生まれて未完で生きて、未完で死ぬ。これでいいのではないか。それでも完成したいと思うなら、もう一度転生する。今度こそ完成して死にたいと思う魂は、そうなるかも知れない。」
「そういう意味で完成されたものはそんなに面白くない。ダビンチの「モナリザ」だってピカソの「ゲルニカ」だって未完である。ダビンチは旅をしながら馬車に「モナリザ」を積んで行き先で筆を入れていたようである。
「モナリザ」が怪しい魅力を発揮するのは、なぜだと思います。僕は未完のままでちゃんと描かれていない「モナリザ」のマユゲだと思う。あの怪しさは描かれていないマユゲのせいであると僕は思う。もしマユゲを描いてしまうと、多分モナリザの神秘はなくなると思う。あの作品が名作なのは、未完だからである。」
少し肩の力を抜いてみて、私 の人生は「未完のモナリザ」なのだとこっそりと「微笑」んでみるのもいいかも知れません。
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。