都庁記者会見時の困惑した表情



時代を超えて

流れる反骨

メロディー


一連のニュースの中に見える世相は2024年4月に入り、蠢きが表面化して来ている感じがする。「啓蟄」という虫たちが動き始める頃を過ぎているので、世間も賑やかになり始めたということだろうか。




東京都知事小池百合子氏の元側近 小島敏郎氏



やむにやまれぬ思い


ご存知、小池百合子東京都知事が東京十五区の候補者に乙武氏を推した。そのタイミングで再燃したのはカイロ大学学歴詐称疑惑である。


告発を決断した小島敏郎さんは小池百合子氏の元側近だった訳ですが、今回告発に至った理由を述べています。



その背景には反骨の系譜が流れていた。水俣病告発した細川はじめ医師、北原百代さん、小島敏郎氏の面々である。




▼小島敏郎氏談話より

水俣病

水俣病のことを青山学院大学でもテーマとして教えていました。


チッソが水俣病の原因企業

やはり大きなポイントというのは窒素が

水俣病の原因企業であるということを会社の窒素会社の幹部は大体知っていたわけです。それを明らかにしたのはま窒素付属病院の細川一(はじめ)さんという人です。


唯一細川さんが告発

知っているにも関わらず多くの人は墓場までそれを持っていった中で、唯一、細川さんだけがそのことを告発したんですね。




内部告発

学生たちにも教えてんですけれども、いわゆる会社に不正があった、あるいは近い人に不正があった時にあなたは内部告発をしますかということ。




ゼミの学生に随分とあの一つの話題として議論しましたけれど、半分ぐらいは告発をしなきゃいけないと、半分ぐらいは告発してもいいことはないから、しない。




どんな人間に

どういう人間に育ってもらいたいかっていうのは非常に大きな問題です。そんな話しを私もそういうことを教えていましたから。




墓場まで持っていきたくない

さっき私の年齢聞かれたけど後期高齢者になりましたけど(私は墓場まで持って行く人になりたくない)





北原百代さん

北原さんは非常に勇気がある人ですね。

そういう観点からすると普通の人が実名でこういうことを言うっていうのはいろんなストレスもかかりますしメディアからもありますからま大変なことだと思っています。





▼北原百代さんは

著書「女帝 小池百合子」

2020年5月30日発行

著者 ジャーナリスト石井妙子

の中でインタビューを仮名で受けたが、今回、文庫本に改定(2023年11月8日発行)するにあたり実名にて登場。北原百代の実名にて動画インタビューにも応じた。


北原百代さんの実名告発動画

当時仮名でインタビュー受けたことに対して受けた批判に対する反論あり。





▼小島敏郎さんのプロフィール

1949年3月23日生れ(現在75)

スーパーエリートの道を歩む


小島 敏郎(こじま としろう、1949年3月23日 - )は、日本の環境官僚、弁護士。地球環境審議官を経て、青山学院大学教授、名古屋市経営アドバイザー、愛知県政策顧問、東京都特別顧問、都民ファーストの会東京都議団政務調査会事務総長等を歴任。


1967年、愛知県旭丘高等学校卒業。河村たかし名古屋市長は同級生。


1972年、東京大学法学部第1類卒業。1973年、同第2類卒業。東大法学部在学中に国家公務員上級試験(法律職)を3番で合格し、司法試験にも合格。大蔵省からも勧誘を受けたが、それを断り、環境庁を選択した。



今回の告発の動機は何だったのか!


今回の告発は環境省時代に水俣病に対する適切な対応が出来なかったこと対する反省も含む決断だったと察します。



水俣病 細川一医師プロフィール


1941年、水俣工場附属病院長に就任。その後軍医としてビルマに赴任した。1947年に復員し、水俣工場附属病院長の職に戻る。


1956年5月1日、「原因不明の中枢神経疾患の発生」を水俣保健所に報告。この日が水俣病公式確認の日とされる。


1970年5月、肺ガンのため癌研究所附属病院(東京都豊島区)に入院。


水俣病裁判弁護団は、裁判長、弁護士が共に入院先の病室に赴いて尋問する臨床尋問をおこなうことを決定。細川の体調を鑑みて、病院側からは、一度きりの尋問しか許可されなかった。


同年7月4日午前10時20分から2時間、臨床尋問を受ける。「猫400号実験」について会社側(技術部)も知っていたと証言。10月13日、肺癌のため死去。69歳没。


そもそも水俣病とは

公害病の原点と言われる水俣病は、チッソ水俣工場の排水中の有機水銀が原因だった。患者が企業を訴えた裁判で1973年の一審勝訴の決め手となったのは、チッソの附属病院医師・細川一(1901~70)の証言だった。奇病発生を確認し、その原因が自社であることを知った細川は、企業と患者の間で悩んだ末、患者側の証人となる決意をしたのだ。細川の葛藤と決断、そしてその後の水俣病の軌跡をたどる。





「我が会社に非あり~水俣病に向き合った医師の葛藤」



悲惨過ぎます。

繰り返すことのないように賢く時代を観て生きたいものです。断罪だけで終わること無く、反面教師を演じて頂いていると思いながら学びの劇場を観ていくとしましょう‼️