大陸横断鉄道の夢とロマン

東京ーベルリン間

壮大な路線


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大陸横断鉄道で旅する魅力は、列車の中で夜を過ごすことが出来る、ということもあるかと思います。一夜を過ごすって、簡易寝台ではあるけれどベッドで一晩の睡眠を取ることが出来る。


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それがアメリカ大陸の上だったり、欧州だったり、シベリア大陸?だったり、更にはアフリカ大陸?だったりした場合、夢想は広がってしまいますが、列車の長距離旅には夢があります。


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睡眠時に列車の走る音を聞きながら、寝入るというのは素晴らしいですね。最近では列車の音が睡眠用BGMとして人気があるようです。


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旅の行先と仕事のスケジュールは分かっていても、このままずっと旅していたい、という思いに駆られたことはないでしょうか。


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一泊の旅でチェックアウトが近ずくと、もう一泊したかった、というのは日々の些事に追われる私の感覚だけではないと思います。


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一人旅って、関係者に許可を取った上での

「家出」みたいなものですね。


欧亜国際連絡鉄道


ところで、話しは本題の「欧亜国際連絡鉄道」の話しに入りたいと思います。時代は遡ること明治45年になります。※ 明治45年は7月29日迄です。7月30日が大正元年になります。1912年です。


東京から日本海を渡り極寒のシベリアの大地を縦貫し、東欧に入り花の都ドイツ・ベルリンまで17日間掛けて走行する地球を半周以上するような超長距離の路線を計画した人物がいる。


110年以上前に、こんな大それたロマン溢れる何もかも無視したような破天荒な、どんな形容も足りないような計画を発案したのは日本人です。


発案者は、日本の鉄道官僚の田中義一という方です。


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「欧亜国際連絡列車」は東京ーパリ間を結ぶ列車です。何日掛かるかと言えば17日間です。


当時、日本からヨーロッパへの移動は船旅で1ヶ月もの長旅になります。


東京は新橋から金ヶ崎駅で運行され、そこからロシア直行の船に連絡し、ウラジオストクに結ぶ。金ヶ崎駅は後に敦賀駅と改称されます。


ウラジオストクから、現在世界最長鉄道と言われるシベリア鉄道に乗り、ベルリンまで延々と旅が続きます。その日数が17日間です。船旅なら1ヶ月もかかる旅を僅か17日ですから、画期的でした。


このことから敦賀港(福井県)はヨーロッパへの旅の玄関口でした。


ここで、関東で生まれ育った私には地理的不案内もあり馴染み薄い地方でしたが、目を見張ることばかりです。


敦賀に住む住民かのように敦賀を誇りたくなりました。


敦賀は鉄道とともに歩んだ街です。

日本海側で最初に鉄道が敷かれた街です。

昭和32年には日本国内では最初の本格的交流電化が完成し、37年には完成当時日本一で、世界5位の北陸トンネルも開通しました。


そのような経緯で、敦賀は交通の要所として発展してきた街なのです。


引用元引用させていただきました。



1枚の切符で東京からパリまで


ここに1枚の切符がある。今から約100年前に運行されていた欧亜国際連絡列車は、この切符で東京からベルリンまでの渡航が可能であった。シベリア鉄道の発着地であるウラジオストクと敦賀を結ぶ鉄道連絡船の就航により、鉄道は海を越え欧州へとつながった。

海を越えた鉄道|日本遺産ポータルサイト




発案者である田中義一氏エピソード

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この列車の発案者は、日本の鉄道官僚である田中義一です。田中は、日本とヨーロッパを結ぶ交通の便を改善するとともに、日露関係の改善にも寄与すると考えました。


田中は、シベリア鉄道の開通に伴い、敦賀港とウラジオストクを結ぶ鉄道連絡船の就航を推進し、欧亜国際連絡列車の運行を実現しました。欧亜国際連絡列車は、日本の鉄道史における画期的なプロジェクトであり、田中の功績として高く評価されています。




田中義一は、日本の陸軍軍人で政治家でした。彼は日露戦争で活躍し、陸軍大臣や政友会総裁を務めました。1927年に内閣総理大臣に就任し、金融恐慌や中国問題に対処しましたが、張作霖爆殺事件で昭和天皇と対立し、1929年に辞任しました。その3ヶ月後に病死しました。残念💦



田中義一は、性格が気さくで庶民的で、陸軍のロシア通として知られていました。彼はロシア正教に入信したり、社交ダンスを習得したりしていました。


彼は一人称が「オラ」で、ニックネームは「オラが総理」「オラが大将」でした。彼は自分の意見をはっきりと言う人で、軍部や政党の派閥争いに巻き込まれることもありました。


彼は日本の近代史において重要な役割を果たした人物です。


欧亜国際連絡列車の短く動画を紹介します。

ナレーションと字幕入りです。

タイトルはバイカル・アムールとなっていますが、

直ぐに欧亜国際連絡列車の紹介になります。



充分には紹介出来なかったのが残念ですが、

偉大な構想と偉大な事業を知るきっかけになればと思います。




最後までご覧いただきありがとうございます。



おやすみなさい


シベリア鉄道の車掌さん達

アップした動画よりスクショ