シベリア抑留手記
生き抜いて祖国へ ④
和歌山県 岡本昇さん手記より
(引用 : 平和祈念展示資料館)
恐怖のシラミ・発疹チフス
シラミは発疹チフスの媒介をする。
モロドエ収容所一週間で270人も亡くなった。
ノーバヤ収容所では
発疹チフスが蔓延し
翌年の春までに
500人中半数以上が斃れていった。
岡本さん手記による
作業が終わって暮れ切った道を黙々と帰る。収容所の火の気のない土間で震えながら、後生大事のわずかな食事を、時間をかけてすする。夜は着の身着のまま横になるが、寒さと空腹で寝つかれない。 入浴しないので雪で顔や手をこする。
シラミがやせ細った身体に遠慮なく寄生して発疹ばかり。次第に人間らしさを失ってゆく。
シラミには抑留期間中ずっと悩まされたが、牡丹江では特にひどかった。 全身シラミまみれと言っても過言ではない。シャツの縫い目などはシラミ白なつぶつぶが連なっていた。イカのような形をしたシラミがぬたぬた歩いている。体じゅうがむずむずとかゆい。暇があるとシラミつぶしが日課であった。
そんなとき牡丹江にシラミを媒介とする発疹チフスが大流行した。私も例外ではなかった。 大変な高熱に襲われる。四十度を超える患者を、次々に浴場に連れて行き、素裸にして、衣服の蒸気消毒、裸で一列に並べられ、石けんをつける者、毛をそる者、流れ作業でシラミの温床となる場所を取り除かれ、最後に湯舟を通過して、消毒を終わった衣服を身につける。 この間に風呂場で死亡してしまう患者もあった。
引用
シベリア抑留体験記
千葉県 鈴木 甲子幸さんより
一連の消毒を終わった患者は、いよいよ病棟へ行くのだが、病室は患者であふれており、空いているところがない。私はフラフラして入口に立っていると、しばらく待つように言われた。 間もなくすると、今まで
寝ていた患者が息をひきとったらしい。死体が片づけられ、そこに休むよう指示された。私はここで何日か死と生の間をさまよっていたようだ。
発疹チフスの歴史
人口密集地域、不衛生な地域に見られ、衣服に付くシラミやダニが媒介することから、冬期、または寒冷地で流行が見られる。特に戦争・飢饉・牢獄・収容所などに好発し、「戦争熱」「飢饉熱」の別称がある。例えば、1812年のナポレオンのロシア遠征などである。第一次世界大戦のロシアでは3000万人が罹患し、10%が死亡した。
またナチス・ドイツのユダヤ人強制収容所でも発生し、大きな被害を出したが、これには、アウシュヴィッツをはじめとするユダヤ人収容所が存在したポーランドが、歴史的に、発疹チフスの発生を繰り返してきた土地であった事にも注目する必要がある。
『アンネの日記』のアンネ・フランクも、アウシュヴィッツ第二収容所からベルゲン・ベルゼン収容所に移送された後、発疹チフスによって死亡したとされているほか、独ソ戦でも両軍に多数の死者を出している。
懸念される集団感染
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https://x.com/mas__yamazaki/status/1746465578976698639?s=46&t=FsmoV-7747w7Ckcga00RMA
まだ被害の全容が判明せずに
被害拡大が心配される中
避難所生活が危機的な状態にある。
一刻も早く手を差し伸べられますように
🙏🙏🙏