映画「砂の器」

昭和49年(1974年)

10月19日公開

原作 松本清張


日本映画界を代表する名作「砂の器」

は「読売新聞」に連載されていた

連載小説でした。


原作者 松本清張を唸らせた出来栄えの

映画が、野村芳太郎監督の「砂の器」

でした。


「小説では絶対に表現出来ない」

と、松本清張も絶賛した。


特に

クライマックスシーンは

追われながら、

全国を放浪するシーン

そして、

この映画の為に作曲された

ピアノ協奏曲「宿命」が

流れる。


ハンセン病の父と放浪する息子和賀は

天才ピアニストであり

実は、警察官三木謙一殺人の

犯人でもある。


和賀が犯人であることを

突き止めた警察は

コンサート会場に飛ぶ


その

和賀のある意味晴れ舞台

のコンサート会場


逮捕の手は差し迫り


ピアノ協奏曲「宿命」

を演奏しているシーン


演奏の終わりを舞台の袖で待つ


警察官三木から

父親がまだ生きていると知らされる

しかし、

会いに行くことはなかった。

しかも三木を手にかけてしまう。

会えば全てが崩れ去ってしまう。


ワンシーンがある。


ハンセン病の父親千代吉が

警部補役の今西(丹波哲郎)に対して

「こんな人知らない」と否定する

シーンがある。


これも親と子の「宿命」を隠し、

宿命を守る為の唯一の道だったから

と思えてならない。


ハンセン病の父親を持つ息子として、

共に苦難を凌ぎながら

生きて来た人生を

父親を自分の人生に対しての負担と

思うことなく、

災いと思うことなく


見捨てることなく

心にいつも父親を背負いながら

生きて行こうとした固い決心が

垣間見えるようです。

 


例えば、施設に隔離されたとしても

その父親に対する

変わらぬ愛情は

他の誰でもない

自分だけしかないという

思いでしょうか。


今もそれぞれ様々な事情で

誰かを庇い背負いながら

生きる現実がありますね。


そこに

何らかの意味を

見つけたいですね。


まったく私的な感想です。

多少のあらすじ誤読ご容赦ください。


ちょと重めのブログに

なってしまったかを気にしながら

最後までご覧頂きありがとうございました。




砂の器は

Amazonでレンタルですが

観ることは出来るようです。