『伊勢神宮と東大寺』


 伊勢の神宮と東大寺!。


 神宮とお寺、神道と仏教、三重県伊勢市と奈良県奈良市と距離も離れており、全く接点はなさそうに思いますが、意外な歴史的な接点がありました。


 伊勢の神宮は明治時代を迎えるまでは仏教を避ける為に僧尼の参拝は厳しく制限されてきました。


 そんな状況でも奈良の東大寺とは、深いかかわりがあったのだそうです。


 治承4年(1180年)平氏の南都焼き討ちにより東大寺は甚大な被害を蒙ったとの事です


 東大寺では大仏殿が焼け落ち、本尊盧遮那仏も大破、堂塔伽藍の多くが内部に安置されていた幾多の尊像とともに煤塵に帰したそうです。


 その東大寺を復興したのが中世初期の僧の俊乗房重源さんです!。


 重源さんは文治二年(1186年)に伊勢の神宮を訪れ、東大寺の再興を祈願。


 その際には僧侶60人を含む、東大寺宗徒700人で伊勢に赴いたそうなのです。


 700人もの人数で伊勢の神宮に再興祈願に訪れたとの事なので、東大寺としても大層な力の入れようです。


 伊勢の神宮さんとしても、東大寺の宗徒を丁重に迎えたとの記録もあるそうです。


 この再興祈願もあり、東大寺は無事に再興し建仁3年(1203年)には東大寺総供養が行われたそうです!!。


 重源さんは僧侶であるだけでなく、実務も優れた人物であったそうです!。


 伊勢を訪れたのは神宮への東大寺再興祈願だけでは無く、資材の調達の意味もあったようです。


 伊勢から高速道路で名古屋方面へ向かうと勢和多気インターチェンジが在ります。


 その近くに在るのが三重県多気郡多気町丹生。


 丹生は古代から水銀を産出する水銀鉱山が存在します。


 重源さんが伊勢を訪れた理由の一つが水銀の調達であったようなのです!。


 大仏を再建する際に使用された水銀は全て伊勢の丹生産の水銀であったと考えられているそうです。



『令和六年2024年3月のお伊勢さん観光ガイド』


 令和六3月のお伊勢さん観光ガイドの活動記録です!。


3月3日、日曜日。

 この日は午後からの当番。

 当日申し込みのお客さんを待って待機。

 だがしかし、お客さんの申し込みは無し。


3月23日、土曜日!。

 この日は予約。

 10時から内宮のみの案内。

 このお客さんとは宇治橋前で初対面。

 宇治橋前で待ち合わせの場合は、お客さんとの合流に手間取る事があります(;^ω^)。

 こちらはお客さんとは初対面なので、誰がお客さんなのか分からない…。

 なので、お客さんの方に私を見付けてもらうしかない訳なのです。

 この日もお客さんとの合流に少しばかり手間取ったかな。

 お客さんはさいたま市のお母さんと美人の娘さん。

 遠方から来てくれたお客さんだけど、この日は雨。

 けっこうな大雨やったかも…。

 おまけに割りと寒い。

 そんな訳で、お客さんと相談して案内は短い目で決定。

 しかし、気がついてみれば通常通りの案内時間になってしまった。

 お客さんは寒そうやったので、しくじったかも?…。



3月31日、日曜日!。

 この日も予約でしたよ。

 16時から外宮のみの案内。

 お客さんは秋田県の四人家族。

 お土産に秋田県の写真葉書をいただきました。


 以上で令和六年3月のガイドは終了!。

 案内したお客さんの累計が699組になりました。


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