女性起業家の人生・事業再起動プロデューサー

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25年続けた家業の二代目経営者を手放し、新事業をゼロからスタート。
自分の感覚や心の声を後回しにして、いつも外側基準で生きて人が
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30代の頃、僕は稲盛和夫さんを追うように、各地の盛和塾の塾長例会へ足を運んでいました。

当時はZoomなんてありません。

直接話を聞きたければ、その場所へ行くしかありませんでした。

交通費、宿泊費、飲食費。

正確には分かりませんが、盛和塾で学んでいた期間全体では、300〜400万円くらい使ったのではないかと思います。
 


目次

1. 答えを求めて、全国へ足を運んでいた30代
2. 「自分にとって本当に大切なものは何なのか」
3. 自分じゃなくてもいいことを、少しずつやめていった
4. 会社経営を通して学んだ「まず自分を満たす」
5. 今は、自分の感情を無視しない
6. 自分の中にある答えは、きれいな声とは限らない
 


答えを求めて、全国へ足を運んでいた30代

なぜ、そこまでしたのか。

会社のお金のことで苦しんでいたからです。

キャッシュフローが悪い。

なんとか会社を良くしたい。

この苦しさから抜け出したい。

稲盛さんから学べば、その「答え」が見つかるのではないか。

僕は外側に答えを求めていました。

もちろん、稲盛さんから学んだことが間違っていたとは、今でもまったく思っていません。

僕の経営者としての基盤を作っていただいた、大切な学びです。
 

「自分にとって本当に大切なものは何なのか」

ところが40歳を前にして、人間行動学の専門家ドクター・ディマティーニに出会いました。



そこで知ったのが、

「人にはそれぞれ固有の価値観の優先順位がある」

という考え方でした。

しかも、それは「自分はこれを大切にしている」と頭で考えるのではなく、実際の行動から見ていく。

僕はそこから、

「自分にとって本当に大切なものは何なのか」

を見るようになりました。

そして僕が決めたのは、

後悔をせずに生きること。

自分じゃなくてもいいことを、少しずつやめていきました。
 

自分じゃなくてもいいことを、少しずつやめていった

その考え方は、会社経営にも表れるようになりました。

当時、僕の会社はお酒の大型量販店を経営していました。

安く売って、お客様に買っていただく。

でも規制緩和によって、スーパーでもコンビニでもお酒を買えるようになり、売上は右肩下がりになっていきました。

付加価値をつけようと、飲食店と一緒にワインと料理を楽しみながら学ぶイベントなども行いました。

それでも抜本的な改善にはなりませんでした。

「このまま続けていたら会社が潰れる」

そう感じた僕は、店を閉めることにしました。

当時は、お店を閉めると、

「あそこは潰れた」

と噂されかねない時代です。

雇用のこともありました。

それでも僕は、規模を小さくする方を選びました。

自社物件はテナントとして貸し出しました。

売上規模は落ちました。

でも、経常利益で1,000万円以上を出すようになりました。

10%だった自己資本比率は、最終的には30%になりました。
 

会社経営を通して学んだ「まず自分を満たす」

僕は会社経営を通して、

「まず自分を満たす」

ということを学んだように思います。

お客様に安く売って喜んでもらう。

でも、自分=会社がどんどん苦しくなる。

それでは続きません。

自分を満たしてから、周りを満たしていく。

これは今、僕自身の生き方でも同じです。
 

今は、自分の感情を無視しない

だから僕は、自分の感情をとても大切にしています。

ポジティブな感情だけではありません。

むしろイライラ、怒り、悔しさ、違和感。

そういう感情ほど、

無視しない。

蓋しない。

スルーしない。

ポジティブ転換しない。

ある日、オンラインの学びの場で結果を出している人たちを見て、ものすごくイライラしました。

その夜、僕はノートに、

「くそ、くそ、くそ、くそ」

「ムカつく、ムカつく、ムカつく」

と書き殴りました。

それでも足りなかったので、クッションもパンチしました。

そして落ち着いてから、

「本当はどうしたいの?」

と自分に聞きました。

答えは、

成功したい。

お金を得たい。

講座に人を呼びたい。

目に見える結果が欲しい。

自分が選んだ道は間違いなかったと思いたい。

でした。

きれいな答えではありません。

でも、僕にとっては本当の答えです。
 

自分の中にある答えは、きれいな声とは限らない

30代の僕は、答えを求めて全国へ足を運びました。

54歳になった今の僕は、自分の中から出てくる「ムカつく」という感情さえ、答えにつながる入口として見るようになりました。

外に学びを求めることが悪いのではありません。

僕自身、外からたくさんのことを教えてもらいました。

でも最後に、

「自分はどうしたいのか」

を決められるのは自分しかいない。

そして、その声は必ずしも美しい言葉で聞こえてくるわけではない。

怒りかもしれない。

違和感かもしれない。

悔しさかもしれない。

だから僕は、自分から出てきた感情を否定しません。

その奥に、

自分が本当に生きたい人生へ向かうための声

が隠れているかもしれないからです。

 

これは、13年前の僕です。

 

20年間営業した店のシャッターを、自分の手で閉めようとしています。

 

写真を見ていただくと分かると思いますが、

 

僕、笑っているんです。

 

この店は、僕が経営していた酒の大型量販店の第1号店でした。

 

しかも、自分が育った地元にあった店です。

 

普通なら、20年間続いた店を閉める写真を見て、

 

「寂しかったんだろうな」

 

と思うかもしれません。

 

もちろん、怖さはありました。

 

当時はまだ、お店を閉めると、

 

「あそこは潰れたらしい」

 

と周囲から見られかねない時代でした。

 

だから僕は、閉店セールのチラシにも、わざわざスペースを取って、

 

「なぜ、この店を閉めるのか」

 

という自分の言葉を書きました。

 

 

 

でも正直に言うと、このときの僕には、それとは別の感情もありました。

 

「これで一つ軽くなる」

 

そんな感覚があったんです。

 


 

目次

 

1.お酒が飲めないのに、酒屋の二代目社長だった

 

2.「この仕事を好きになろう」と努力した

 

3.「2,000万円足りません」から始まった経営

 

4.「この商売を、このまま続けていたら会社が潰れる」

 

5.20年間続いた店を閉めることを決めた

 

6.「閉店の儀」で20年間をお祝いした

 

7.シャッターを閉めた僕は笑っていた

 

8.会社を強くしたのは「増やすこと」ではなく「減らすこと」だった

 

9.手放すことは、本当に「逃げ」や「失敗」なのか

 

10.「本当はどうしたいの?」

 


 

1.お酒が飲めないのに、酒屋の二代目社長だった

 

なぜなら僕は、

 

お酒が飲めないのに、酒屋の二代目社長だったからです。

 

体質的にお酒が飲めません。

 

それなのに当時は、お酒の大型量販店を4店舗経営していました。

 

会社には、お酒が好きで入社してきたスタッフがたくさんいました。

 

みんな本当に詳しいんです。

 

ワインの名前や産地について熱く語る。

 

でも僕は、何度聞いても覚えられない。

 

そもそも、お酒そのものに興味が持てませんでした。

 

そんな自分を、僕はずっと責めていました。

 

「こんなのは経営者として失格じゃないか」

 

2.「この仕事を好きになろう」と努力した

 

当時、僕は盛和塾で稲盛和夫さんの経営哲学を一生懸命学んでいました。

 

稲盛さんは、二代目として事業を引き継いだのであれば、その仕事を愛すること、仕事を好きになることが事業を伸ばすことにつながると教えてくださいました。

 

僕も、本当にその通りだと思いました。

 

だから、

 

「この仕事を好きになろう」

 

と努力しました。

 

でも、どうしても好きになれなかった。

 

そして、好きになれない自分をまた責める。

 

「だから会社を伸ばせないんじゃないか」

 

「自分は経営者として何かが足りないんじゃないか」

 

そんなふうに思っていました。

 

3.「2,000万円足りません」から始まった経営

 

しかも、会社のお金の状態も決して良くありませんでした。

 

僕が社長に就任したばかりの頃、経理担当者から突然、

 

「今度のお酒の支払いで、2,000万円足りません」

 

と言われました。

 

ついこの間までサラリーマンだった僕には、何が起きているのか分かりませんでした。

 

そのときは父に頼んで何とかしてもらいました。

 

ところが1か月ほど経つと、また経理担当者から、

 

「今度は1,000万円足りません」

 

と言われたんです。

 

「なんでこんなことになっているんだろう」

 

「なんでこんな会社を引き継いでしまったんだろう」

 

本当に怖かった。

 

当時の会社の自己資本比率は、わずか8%ほどでした。

 

酒の量販店は、粗利益率が15%程度しかありません。

 

100万円売っても、85万円は原価です。

 

残った15万円から、人件費、家賃、水道光熱費などを払っていく。

 

売上をつくっても、なかなかお金が残らない。

 

だから僕は、

 

「もっと売らなければ」

 

「もっと頑張らなければ」

 

と思っていました。

 

寝る間も惜しんで働いた時期もありました。

 

それでも、なかなか楽にならない。

 

酒販免許の規制緩和によって、コンビニやスーパーでもお酒が買えるようになり、価格競争も激しくなっていきました。

 

ワインを中心に、飲食店と組んだイベントなど、付加価値をつける販売にも挑戦しました。

 

やってよかったと思っています。

 

でも、会社の状況を抜本的に変えるまでには至りませんでした。

 

4.「この商売を、このまま続けていたら会社が潰れる」

 

そして、あるとき僕は思いました。

 

「この商売を、このまま続けていたら会社が潰れる」

 

だったら、規模を追うのをやめよう。

 

店舗を閉めよう。

 

自社物件であれば、そこで無理に酒を売り続けるのではなく、テナントとして貸せばいい。

 

売上は減る。

 

「店を閉めた」と言われる。

 

「潰れた」と思う人もいるかもしれない。

 

それでも、

 

会社そのものがなくなってしまうより、ずっといい。

 

そう考えるようになりました。

 

5.20年間続いた店を閉めることを決めた

 

そして2013年8月31日。

 

自分が育った地元にあり、20年間営業してきた酒販店第1号店を閉めました。

 

最後は「在庫一掃20%OFF」の閉店セールをしました。

 

商品は、どんどんなくなっていきました。

 

Facebookでつながっていた友人たちも買い物に来てくれて、一緒に写真を撮りました。

 

 

6.「閉店の儀」で20年間をお祝いした

 

そして閉店時間の少し前から、

 

「閉店の儀」

 

というFacebookイベントまで開きました。

 

お酒が飲める人にはビール。

 

飲めない人にはお茶。

 

みんなで、

 

「20年間営業してきた店の閉店をお祝いしましょう」

 

と、最後の時間を過ごしました。

 

そして夜8時。

 

僕がシャッターを閉めました。

 

その瞬間の写真が、冒頭の写真です。

 

7.シャッターを閉めた僕は笑っていた

 

僕は笑っています。

 

今、その写真を見ても思います。

 

たぶん僕は、嬉しかったんです。

 

もちろん、20年間続いた店がなくなる寂しさもあったと思います。

 

でも同時に、

 

「これでもう一つ軽くなる」

 

という感覚があった。

 

自分がどうしても好きになれなかった商売。

 

「二代目なんだから、この仕事を好きにならなければ」

 

と自分に言い聞かせ続けてきたもの。

 

それが一つ、自分の人生から減っていく。

 

「これで、もっとシンプルな方向へ進める」

 

そんな感覚だったんだと思います。

 

8.会社を強くしたのは「増やすこと」ではなく「減らすこと」だった

 

そして面白いことに、会社もその後、少しずつ強くなっていきました。

 

売上規模は小さくなりました。

 

でも、利益を残せるようになった。

 

経常利益で1,000万円以上を出せるようになり、内部留保も積み上がっていきました。

 

僕が引き継いだ頃は8%ほどだった自己資本比率も、最終的には30%近くになりました。

 

昔の僕は、

 

大きくすることが会社を良くすることだ

 

と思っていたのかもしれません。

 

でも実際に僕が会社を強くするためにやったことの一つは、

 

「増やすこと」ではなく「減らすこと」

 

でした。

 

9.手放すことは、本当に「逃げ」や「失敗」なのか

 

そして今振り返ると、これは会社経営だけの話ではなかったように思います。

 

僕たちは知らないうちに、

 

「こうした方がいい」

 

「これを好きになるべきだ」

 

「周りの期待に応えなければ」

 

というものを、たくさん抱えて生きています。

 

そして、それを手放すことを「逃げ」や「失敗」のように感じてしまうことがあります。

 

でも、本当にそうでしょうか。

 

僕があの日シャッターを閉めたことも、外側から見れば、

 

「20年間続いた店を閉めた」

 

という出来事です。

 

でも僕の内側では、

 

「ようやく一つ手放せた」

 

という出来事でもありました。

 

同じ出来事の中に、マイナスもプラスもあったんです。

 

10.「本当はどうしたいの?」

 

だから今の僕は、何かに違和感を感じたとき、

 

「本当はどうしたいの?」

 

と自分に聞くようにしています。

 

 

周りから見て正しいかどうかを考える前に、まず自分の声を聞いてみる。

 

もちろん、自分の声を聞けば何もかもうまくいくわけではありません。

 

僕自身、今も道の途中です。

 

それでも、あの日の写真を見ると、

 

自分の中にある違和感を無視せず、一つずつ余計なものを手放していくことで、次の道が開けることもある。

 

そんなことを、13年前の笑っている自分から教えてもらっているような気がします。

 

あなたには今、

 

「本当はもう手放してもいいのに」

 

と思いながら、握りしめ続けているものはありませんか?

 

「くそ、くそ、くそ、くそ」

 

少し前、僕は本当にこんな言葉をノートに書いていました。

 

「ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムカつく」

 

そして、そのあとクッションをパンチしまくりました。

 

 

何がそんなにムカついたのか。

 

それは複数の人が参加しているオンラインの学びの場で、結果を出している人たちを見た時のことです。

 

最初は、遅い時間までZoomをやっていることにイライラしているのだと思いました。

 

でも違った。

 

僕は、

 

自分が結果を出せていないことにイラついていた。

 

「結果が出ていない=自分には価値がない」

 

そんな構図に、自分自身を当てはめていることにも気づきました。

 

けど、僕はその感情をポジティブに転換しませんでした。

 

「人と比べても意味がないよ」

 

とも言いませんでした。

 

「すべてはうまくいっている」

 

とも言いませんでした。

 

くそ。

 

ムカつく。

 

悔しい。

 

そのまま出しました。

 

僕は、ネガティブな感情を

 

無視しない。

蓋しない。

スルーしない。

ポジティブ転換しない。

 

と決めています。

 

 

ネガティブな感情だって、自分から出てきたものだからです。

 

そして十分に出して落ち着いてから、自分に聞きました。

 

「じゃあ、本当はどうしたいの?」

 

出てきた答えは、とても現実的でした。

 

成功したい。

 

物理的にもお金を得たい。

 

講座に人を呼びたい。

 

目に見える結果が欲しい。

 

「ああ、自分が選んだ道は間違いなかったんだ」

 

と感じたい。

 

これが僕の本音でした。

 

そして、もう一つ氣づいたことがあります。

 

なぜ僕は、こんなに結果が出ないことに腹が立つんだろう?

 

それは、

 

「本当は自分には価値がある」と、自分自身が分かっているからじゃないか。

 

価値がないと思っているなら、これほど悔しくない。

 

「もっとできるだろ」

 

「こんなもんじゃないだろ」

 

と自分自身が一番思っている。

 

つまり僕は、ちゃんと自分の味方だったんです。

 

「魂の声を聞く」というと、何か静かで美しい声が聞こえてくるように思うかもしれません。

 

僕は、そうとは限らないと思っています。

 

「くそ、ムカつく」

 

の下に、

 

「成功したい」

 

があることもある。

 

悔しさの下に、

 

「もっと自分を生きたい」

 

が隠れていることもある。

 

だから僕は、ネガティブな感情ほどスルーしません。

 

そこに、

 

今の自分が本当に望んでいることへつながる入口

 

があるかもしれないからです。