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大谷昭宏氏は読売新聞大阪本社の社会部記者でした。私は民放は殆ど見ません。「維新、推し」があるようです。読売テレビの某番組は日本テレビでは放映しないようです。

 

(1:30PM、追記)

大阪はいい意味で「大阪を仕切る」能力のある自民党政治家は故・塩川正十郎氏(1921-2015、政界引退は2003.11)以降、見当たりません。太田房江元知事(在任期間:2000-2008)は広島県出身→東大経済卒→経済産業省(旧通商産業省)で近畿経済産業局総務企画部長でした。1990年代の「バブル崩壊」以降、「ハコモノ」を作りました。本社機能の東京移転と製造業の海外移転、2000年代には「薄型テレビ」がコモディティ化」してパナソニックのプラズマTV、シャープの液晶TVは撤退しました。

 

1970大阪万博は丹下健三氏(1913-2005)、西山夘三・京都大学教授(1911-1994)は大阪市生まれ、堺屋太一氏(1935-2019)も大阪市生まれでした。丹下健三氏は東大工学部建築学科の磯崎新氏(1931-2022)、黒川紀章氏(1934-2007)らを育てました。

 

梅棹忠夫氏は京都市生まれでしたが1964年に「万国博覧会を考える会」を発足、大阪市生まれの小松左京氏(1931-2011)も加わりました。

 

2005年の大阪万博は「総合プロデューサー」は誰なのでしょう。

 

(6PM、追記)

私は大阪市生まれで、1970大阪万博の時は府立高校に通っていました。万博には「月の石」を見るために数時間、並びました。ソ連館のパンフレットはありますが、米国館はありません。半世紀経った現時点で考えても、当時は建築家だけでなく、社会科学、人文科学、自然科学に詳しい学者が関西には集積していました。梅棹氏は国立民俗学博物館の設立に尽力、1974年に初代館長に就任されました。